~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-136)
翌日、合宿最後の日の午後、恒例の山中湖一周のマラソンが行われた。合宿所から一斉に出て合宿所に戻る。
合宿の疲れと、昨日の惨敗で出発の前からみんなを上げていた。しかし武馬は懸命に駈けた。
これがすべて秋の闘いのために備えられるものであることを彼は自分自身に言い聞かせながら歯を食いしばり、足がふらつきそうになると、昨日、惨めに自分を叩きふせたあの竜野を思った。眼に見えぬ前に、竜野を追いかけて行くような気持で彼は走った。
湖に沿って、可成りの上り下りのある道は辛かった。トップのグループの数が次第に減り、最後に三人、主将と武馬と森が残った。やがて、
「畜生」
と言いながら森がおちた。
キャプテンの竹島にぴったり並びながら武馬は走りつづける。道が林をぬけて下りにかかった辺りで湿けていた足元にすべりよろけてさらに木の根につまづいて武馬は転んだ。
「どうした、大丈夫か」
一瞬、立ち止って竹島が言う。
「大丈夫です」
かがんで爪先を押えたまま答えた。
「先に行くぞ」
竹島が駈け出すと、武馬は立ち上がってそれを追った。差が十メートル開いた。それをまた必死に追った。キャプテンの後姿が、ボールをかかえて独走する竜野に見える。このマラソンで彼に追いつけなければ、秋にも駄目なような気がした。歯を食いしばりながら武馬はピッチを上げていった。その十メートルが辛かった。
が、やがて、五メートル、三メートル、一メートルとその差を詰めた。並び直した時、
「来たな」
苦しそうに、しかし嬉しそうに竹島は笑った。
「あ、秋までに ──」
後は声が出ない。
最後の上りで、武馬は黙って彼を抜いた。何か冗談を言う余裕などなかった。
そのまま合宿所の庭に駈け込んだ。四十メートル遅れて竹島が入った。
「坂木、君は、やるなあ。秋には、竜野をつぶせよ」
調整の駈け足をしながら真青な顔であえぎながらキャプテンは言った。
2022/07/03
Next