~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-137)
合宿の後に試験が来た。試験のすむまで、練習は任意ということになった。ランニングに、サンドバグへのタックルぐらいの練習はやったが、時間がつまるとその時間も惜しくなって来た。
入学試験にはなんとか通ったが、自分がこの学校で他の仲間たちと肩を並べていけるかどうかを試す時は来た訳だ。追い込みの準備をすればするほど武馬は憂鬱だった。いずれにしろ、試験の好きな学生がいたならお目にかかりたいものだ。
「親分での試験は苦労するのかね」
武馬に言われ、
「当り前だ、まさか子分にカンニングの手伝いをさせる訳にもいくまい」
和久は言う。
試験の開始が後三日に迫った日、武馬は帰りがけ学務課事務室のある建物から出て来る人を見て立ち止った。
確かに杉の父親だ。する内、向うも彼を認めた。
合宿の後、試験の準備に追われて後の見舞いの出来なかったことを詫びたが、杉の父は逆に改めて先日の礼を言う。彼の退院は和久から聞いてはいたが、話によるとその後の経過も大層いいそうな。
「── 実はそれで、どうしても今度の試験を受けると言いましてね」
「試験を?」
「ええ、無理はせずに一年遅れてもいいと言ったのですが、遅れる遅れないの問題ではなしに、なんとか自分を試したいと言うのです。怪我以来、勉強もしてはいませんが、とにかくそれまでの勉強でやって見ると言います」
「そりゃあ、杉君なら出来るだろうけど」
「あなたにも言って頂いたように、達也自身が立ち直るためにも、今度の試験をやり遂げて自信をつけたいのでしょうが」
「体はいいのですか」
「それなんです。上半身はもう大方いいのですが、まだ足がいけません」
「それじゃ ──」
「手押車に乗せましてね、ほら、病院で使う。学校さえ許してくれればと思って今日相談に来たのですが、事務方の方で相談して明日中に返事して頂けると言うのですが」
「そりゃ、是非、そうさせてやりたいなあ、出来ない話じゃないでしょう。しかし誰かがついて ──」
「そうです。ことの決裁は学校の方にまかせましたがね、みもしいいとなれば私が車を押して来ますよ」
杉の父は頷くように言った。
「案外、私が息子にしてやれる始ての協力という奴かも知れませんな」

翌日、結果が気になって武馬は学務課長にことの結果を訊ねに行った。
「許可しましたよ。余りない例ですがね。しかし本学としては原則的に不具者を入れないという訳ではばいのだし、まして運の悪い事故の怪我人だ。体に無理がいかずに本人に能力があれば折角のチャンスですからね。一応医者の許可証を見てからにしましたが。こちらとすれば部屋を一つ別に、試験監視を一人ふやせばすむことです」
課長は笑って言った。
2022/07/04
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