~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-153)
電話ボックスを出て来た武馬に、
「どうでした、先方の様子は」
「こっちの言うことはわかったらしい、なんだかぼうっとしていた」
「そうだろうねえ。へへ、いつもの仕事たあ違ってなんていい気持ちだ」
伴治が顎をさすりながら笑う。その片手に彼は桜井の書類鞄を下げていた。
後々のためにみんなは一応慎重に横浜まで引き上げた。町の外れに待っていたほろがけの和久組のトラックが手早く和久の引いて来た屋台を荷台に上げてしまう。大方浜の縄張りのどこかから借りて来たに違いない。武馬も常川の運転していた自動車に乗り込んだ。
和久の家の座敷で祝杯を上げながら、伴治が桜井の懐から抜いたものをもう一度改める。間違いなくあの証文だ。
「ここで焼いちまってもいいんだが、処置は一応当の香世さんにまかせよう」
和久が言い、代わりに武馬が預かった。受け取りながら、
「みんな本当にどうもいろいろ有りがとう」
思わず姉妹二人の為に親身な礼の言い方をして自分でも照れたが、矢張り嬉しさはかくせなかっや。
「こんな手伝いならいつでもやりますぜ。へ、下手な素人芝居をやってるより張りがあって面白えってもんだ」
辰さんが言う。
その横で伴治が桜井の懐から抜いたものをひとつひとつ前に並べていく。
「随分抜いたもんじゃねえか!」
「なああにあれだけ道具建が揃や後は赤ん坊の手をひねるみてえなもんだ。野郎の懐にゃハンカチ一枚残して後あ何処にも何も入っちゃいねえぜ。その証文の入った封筒はすぐに指へ来たが、後はついでにひとつひとつ失敬してきたよ。どうも普段の癖てえ奴だ」
肩をすくめる伴治に、
「いやその方がよかった。なまじ証文一枚だけだをやったんじゃ彼女たちがかえって疑われる、のこりのものもあんたがとっておいたらいい」
和久が言った。
「冗談じゃねえ。そうはいかねえ。今夜の上りあ矢張りみんなと山分けだ」
「へ、スリの上前をはねるのかね」
言った辰さんに、
「てやんでえ、人聞きの悪い言い方をすんない」
「いやすまねえ、今日のは本当の人助けだ。喜んでお前さんのおごりにのろうじゃねえか」
辰さんが頭を下げる。
「そう頭を下げるんなら、返してやろう」
言って伴治が懐から出して置いた財布を見て、
「あ、畜生ひとの財布を」
辰さんはみるみる真っ赤になったが、
「へへ、まだまだ甘いぜ、用心用心」
伴治はにやにや笑ってすましている。みんながあわてて自分の懐へ手を入れた。
伴治が出した分厚い手帳を調べていた和久が、
「おい坂木、こいつあ思わぬ収穫かも知れんぞ。よくわからんが、ここにあるいろいろなメモが、日づけからいって例の汚職事件に関係がありそうだ。こいつあ案外控訴中のあの事件の新しいメタになるかも知れない」
「こっちの鞄の書類も詳しくはわからんが何か出そうだ」
「こいつあもう少し調べて新聞社に放り込むか、いっそ検察庁にでも持ち込んでやればいい」
「そうはいかねえ、うっかり持って廻ればこっちが御用だ」
伴治が言ったが、
「なあに伴治とは言わず、義賊鷹の眼とでもつけて売り込みゃ新聞か雑誌じゃ大した特種になるぜ。お前さんはたちまち時代の永久だよ」
ひやかし半分に言った和久をに受け一寸の間真顔で考えていたが、
「よそう、矢張りそいつあまずいや」
伴治が言った。
2022/07/13
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