~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-157)
その晩、武馬はお師匠さんに話を切り出すことにした。以前、お師匠さんの方から受け合ってくれた話だが、改めて頼むとなるとことがことだけに矢張り言いにくい。和久に言われてなるほどと思いついたが、果たしてそれがいい方法かどうかは自信はない。といって、二人の仲をああ言って受け合いはしたものの他にもっといい方法も考えつかないのだ。
とにかく「川北」の一件以来、方法は突飛とっぷだったが結果についてはお師匠さんも大層武馬を評価してくれている。
お師匠さんの言う家がどんな家か、そこで二人を逢わせて何と言っていいのかまだよくわからぬながら、とにかくお師匠さんに打ち明けた。
お師匠さんは二つ返事で引き受けてくれた。向うはいつでもいいと言う。そう言われると次のことを考えなくてはならない。
「それで、僕はどうしたらいいんでしょう」
「どうもこうもないさ、たとい一夜でも二人を祝言させてやる結びの神じゃないか。粋でいい役だよ、しっかりおやり」
「し、しかし、杉は引っぱって来れても雪葉さんが」
「向うもあんたのひと言を待ってるよ。日どりが決りゃ私から言っといて上げる」
紫雨師匠は浜町にある待合の名前を教えてくれた。いきさつ一切みんな通じてあるという。
「私の昔馴染むかしなじみみの友だちだよ。今でこそ人情もこんなになっちまったけど、昔あこんな具合の話は沢山あったもんだ。とにかく気を利かしてくれる筈だよ」

結びの神か何かは知らぬか、不馴ふなれな役として翌々日、武馬は浜町のその家へ一応挨拶にいった。
通された座敷へ出て来た女将が彼を見るなり、
「あれまあ、あなたがそのとりもち役。ふ~ん、若い割に出来てるんだねえ」
半分からかうように言われ武馬は紅くなる。紫雨の昔馴染みというらしく、お師匠さんによく似たしゃきりとした女だ。
「なにぶんよろしく」
「よろしくたって、こちらじゃ何もしやしませんよ。そんな二人にあ四方に囲いのある中で二人っきりになれるのが何よりさ」
武馬はただ紅くなって頭を下げた。

あの日以来、杉は松葉杖をつきながら学校へ出て来ている。その松葉杖が二本から一本になった頃武馬は彼をつかまえて一夜自分のために体を空けてくれるように頼んだ。
「君との約束を果たしたい。ただ僕にまかしておいてくれ」
杉は武馬の考えていることを半ば察したような表情で黙って頷いた。その気配には、あの怪我からの回復が役立ってか、もう雪葉の面影に悩まされているような影は少なくとも上べには感じられない。しかし彼が心のどこかで、彼を死から引き止めた自分のひと言を当てにしていることを武馬は信じた。
雪葉には彼女がお師匠さんのところへおさらいに来た帰りを、道の途中でつかまえて話した。場所は言わず日時だけを告げた。固い表情で頷きながら、思いつめた顔で彼女は何か言おうとし何故なぜか身を震わせて黙った。しかし話さなくとも、武馬のひと言で彼女が忘れようと努めながら、それでも心の一番奥底に秘めて抱いていたものにまたいき逢ったということがよくわかった。
「僕が案内します。とにかく黙ってついて来て下さい。いいですね」
雪葉はただ黙って頷いた。

その前日、武馬は自分に智恵をつけた張本人の和久に、一体何と言って二人を引き合わせたらいいものか相談した。」
「うまくやれよ。、と言やいいのさ」
和久はにやにや笑いながら言った。
2022/07/16
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