~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-160)
シーズンに入り、ラグビーのリーグ戦が始まった。東大は第二戦で夏の合宿に惨敗した慶応と当たることにになった。
第一戦の可成り強い相手に辛勝ながらも勝った。秋に入ってみんなの調子も出ている。慶応にもなんとか。と思ったが、相手とて同じように技倆ぎりょうは上がっていることだろう。
第二戦に、主将は夏の試合からして武馬をT・Bのウイングに起用した。初の公式戦だ。それに慶応の辰野には秘かに借りがある。及ばずながらも一矢はむくいることを期しているのだ。試合と聞いた紫雨師匠が、生まれて初めてラグビーばるものを観にいこうと言い出した。勿論、明子とだろう。
当日、ユニホームに着替えグラウンドに駈け出し、スタンドに明子と紫雨を捜しにかかった武馬へ、
「坂木さん」
声がかかった。
振り返った眼の前に、スタンドの一番前に例の広美たち四人組がおいた。武馬は忘れていたものを思い出した。
「頑張ってえ」
「森さんはまだ?」
とリツ子。
「試合の後つき合って。今晩一寸面白いパーティがあるの、ね、あなたのことみんなに紹介しといたわ」
広美が言う。
「今夜はだめだ」
「またあいつ」
広美がふり返る。
そのずっと後に紫雨と並んだ明子が見える。広美と話している武馬を明子より紫雨がこわい顔で見ている。
「おや、私のこと睨んでる。今日は親子がかり?」
出て来た森へ、
「森さあん」
リツ子がうるさい。その隅に離れた武馬に代わって森はにやにや笑いながら彼女たちの前へ近づいた。

試合が始まった。東大が腕を上げた以上に相手の技倆が上がっていた。まして一応慎重に全員レギュラーという布陣だ。得点こそ夏休みほどに開かなかったが、ブロックがついて守れているだけで、実力の差は歴然だ。
果せるかな前半の半ばすぎると例の竜野を中心とした動きが東大陣を目茶目茶にひっかき廻しにかかる。
あっと言う間、竜野」が鮮やかなフェイントモーションで味方のバックスを抜き去るとつづけて3トライを上げる。竜野が駆け抜けた後、タックルに空ぶりを食わされた味方が情けない恰好でグラウンドに転がっている。
幸か不幸か武馬と竜野は先刻先刻ルーズスクラムでぶつかったきりだ。
見守る紫雨の後で慶応びいきか、二人の男が竜野のプレイについていちいち絶賛する。彼らが竜野のことを「天才だ」「名人だ」と言う度、武馬の味方が馬鹿みたいに引っくり返され、抜ききられるのを見て紫雨師匠はだんだんかんがたって来た。それが昂じて来ると、袖を曳く明子にかまわず、後が「いいね」とやると、「なんだい、あんなもの」「どうだい、見ろよ」とやると、「だめだめ」と知らずにやり返す。前と後が知らに間に応援のかけ合いになった。その内、
「見ろ、やったぞ!」
「ああ、畜生! 死んじまやいい、あんな奴」
のぞき合うように前と後が顔を合わせた。
「なんだこの婆あ」
2022/07/17
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