~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-161)
「婆あ? 婆あとはなんだい。お前さんたちこそ大方どこかの愚連隊だろう」
かっと来た紫雨師匠は試合を他所よそに後へ向き直ってやり返す。
「婆あで悪かったね、それじゃおばさん。ほらほら見てなよ、言ってる間にまたトライになるぜ」
また相手がやり返す。言われる通りまたまた東大陣は総乱れでさんざんにゆすぶられている。後の相手と試合に半々に気をとられながら、
「ああ畜生、口惜しいねえ、なんとかならないのかしら」
「なんともならないよ」
「何を言ってるんだい」
明子が袖を引くのもかまわず、「
「武馬さん、一体何をやってるんだ。ほらまたあの男に抜かれた」
初めて見たラグビーにお師匠さんはもゆすっかり血道を上げている。
がその甲斐もなくスコアは段々バスケットの試合並みに開き出した。
ようやくハーフタイムの笛が鳴る。
「一体これで後半分に一点でも返せるのかねえ。全体武馬さんほどの男たちが揃っていて不甲斐なさすぎるじゃないか」
「だって相手が旨いんだもの仕方ないわ」
「そうそう」
また後の声に紫雨がふり返ってにらみつける。試合中と違ってハーフタイムでは睨まれてまともに顔を見返さなくてはならず、後の男たちは流石に心地悪いか何かを買いに行くようなふいで立ち上がった。
ベンチへ帰って来た武馬や森に、
「ねえしっかりしてね」
「もう少しなんとかならないの」
それも応援と言えば言えるが、広美やリツ子たちが容赦ようしゃない。
それを上から眺めていたお師匠さんが明子に、
「ちょいと、なんだいあの女たち、武馬さんに馬鹿に馴れ馴れしいじゃないか。大体あんあたがこんなところに引っ込んでいることはないよ。後半分もう少しなんとかするように言っといで」
押し出すように言う。明子は肩をすくめて夏休みのことを話した。
「冗談じゃないよ。そんな女に。あんたは何をぼやぼやしてるんだい」
「だから、武馬さんだって相手にしてないわ」
「いや、わかりゃすないよ、男なんて。そう言って呑気にかまえているのが一番良くない、そういうことは何でも押し、押しの一手なんだよ」
「だって」
言う内またホイッスルが鳴った。
「駄目だよ、そんなことじゃ。とにかく帰りは一緒に帰るよう首へ縄をつけて引っぱといで」
紫雨師匠は憎々にくにくし気に広美たちを睨みつける。
「あの女たち、慶応のスパイじゃないかしらん」
2022/07/17
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