~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-163)
後半の半ばが過ぎた。東大はワントライも返せぬまま、得点差は三十点と開いた。
東大とて懸命なのはわかるが、試合の興味は、後はただ、練習の如く次々と変わった方法で慶応がいかに見事な得点を重ねていくかということと、果して東大が一矢を報いるかどうかだ。とはいえ守勢攻撃は一方に決まったきりで一向に試合の様子を変えない。
その内、やや攻撃に出ていた東大陣からもれてTBに出たボールを、竜野を中心にした三人が左右へ見事なロングパスの往復でふり廻し、その間隙にがたついた東大守備陣を竜野が足にまかせて斜めにダイナミックに独走して抜いた。
その鮮やかさにまたスタンドが湧いた。お師匠さんは歓声の代わりに悲鳴を上げた。
次の瞬間、スタンドが別の歓声で湧いた。竜野に抜き去られ、もう精魂尽きて見送った東大陣から、たった一人彼を追って出たバックスがいる。お師匠さんが別の声を上げた。武馬だった。
気づいて逃げ込もうとする竜野をタッチへ追って、武馬はただ夢中で駈け戻った。破裂しそうな胸へ、千切れて飛びそうな喉へ、武馬はその一瞬、惨めに敗れつづけた自分への憤りを賭けて走った。
ハーフラインからゴールへ、トラックのレースに似た走り合いだ。ゴールを狙った竜野は追手の勢いに見る見るタッチ添いに方向を変える。競い合うタイミングは竜野がボールをかかえてゴールの隅へ飛び込むか、その瞬間、武馬がそれをつかまえるかだ。スタートの瞬間には竜野に分があった。武馬の力走がそれを縮めた。力走と言うよりは、弾丸のように二人は走った。その二つの弾丸が、どの点でぶつかるか、或いは交じらずに過ぎるのか。
瞬間のレースを、固唾かたずを呑んだスタンド中の観衆が高速度写真を見るように時間を忘れた興奮で見守った。ストライドが重なり、十メートル、九メートル、二人の距離が近づくにつれ、ゴールも近づいた。七、六、五メートル、ゴールが決まる直前、観衆は再度狂ったように湧いた。次の瞬間、その喧噪の中で、武馬の体が軌道を更に飛んで、文字通り弾丸となって頭から前へすっ飛んだのだ。
弾は竜野の足元で炸裂した。竜野の体ははじかれたようにグラウンドへ叩きつけられて転がり、ボールは遠くタッチの外へけし飛んだ。はずみのついたまま二人の体は三転五転してグラウンドを転がった。
スタンド中が湧いていた。怒号の後、観客は狂ったように手を叩きつづけた。
その拍手の中で、竜野がようやく起き上がった。頭を打ったか、仰向けになったまま頭をかかえている武馬に手を差し延べ体を引き起こした。拍手が一段と湧いた。
差し延べた手を握り合った瞬間、竜野は迎えるように歯を見せてニヤリと武馬へ笑いかけた。武馬も笑い返した。憤りも屈辱も、胸にわだかまっていたすべてがすっ飛んでいた。笑い返しながら、今竜野がその笑いの中で自分もやっと一人前のラガーの仲間として認め迎えてくれたことを武馬は感じたのだ。
拍手は鳴りつづいた。一方的な試合にゆいるんでいたスタンドの緊張と興奮が、たった今の白熱した競り合いと衝突で倍になって戻っていた。
2022/07/19
Next