~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-173)
ラグビーの秋のリーグ戦は終わった。後は関西の大学との冬期の交流試合、そしていくつかのトーナメントだ。関西で行われる予定の定期船があって、その時は達之助にも試合を見てもらえると武馬は期待した。
東京地方のリーグでのらぐびーの成績は対法政の勝点と他の一引分けを入れて、同点順位でようやく尻から三番目だ。
しかしラグビーに比べて野球の方は非道かった。今シーズン東大の弱体はいつも以上に非道く、東大に次いで上部に比べ甚だ弱体と言われている明治にも二試合つづけて二桁ふたけたに近い被得点で零敗している・いつもながら改めて、東京六大学東大不要薛が新聞にまで云々されだしている。東大の残る試合は断然優勝候補の立教とそれにつづく慶応だ。勝負はもうとうに知れている。
今まで第一分にいた他の何種類かのスポーツも今年はみな二部に落ちて、今秋東大のスポーツは甚だふるわない。滋味だが、その中ではラグビーは少なくとも予想以上の結果と言えば言えた。その結果の上で、武馬は新人ラガーとしての立派な登録をすましたことになる。

ある日、学校で杉に会った。というより気づかずにいた武馬を杉の方で呼び止め追いついた来た。
笑いかける杉の顔はすっかり日焼して見える。言った通り補欠としてずっとレギュラーと一緒に練習だけは続けているらしい。
武馬はふと、一週間ほど前に会った雪葉のことを話そうと思って止めた。
学校から帰った武馬を紫雨師匠が母屋おもやへ呼んだ。行葉が坐っていた。
「この子があんたに挨拶したいんだそうだよ。赤坂を止すんでね」
以前から聞いてはいたことだが、思わず訊き返そうとする武馬をお師匠さんが言うなと言うようにじっと見た。
「そうですか」
とだけ言った。
「いろいろお世話になりました」
武馬の顔を見上げ、雪葉は手をつき低く頭を下げた。武馬もあわててひざをついた。眼の前に下げられた雪葉の白いうなじが寂しそう、というより憐れだった。
「さようなら、元気でね」
「はい」
頷いて見返す彼女の眼の内に、遠く諦めたような影がある。思わず杉について何か言ってやろうとしたがやっとそれをこらえた。武馬はあの陽の当たる芝生で、汗をかきながら懸命にキャッチボールする親子の姿を思い出していた。その杉のために、自分が今、黙って眼をつむって彼女を見送ってやった方がいいのだと思う。
雪葉が帰っていった後、
「可哀想に。が、これで一巻の終わりだよ。これでいいんだ」
お師匠さんは言った。
2022/07/28
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