~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-178)
暮も間近く、武馬は京都で行われる京大とのラグビー定期戦の通知を神戸の達之助へ出した。杉ほどにはいかなくとも、グラウンドでの自分の晴姿を是非達之助に見て貰いたかった。そのまま一緒に正月休みに家へ帰るつもりだ。親父のことだ、どんなに興奮して応援してくれるだろうかと、それを思うだけで武馬は一人で笑えて来、それだけで幸せを予感で来た。
返事は来なかったが、来ないことが達之助が直接試合場にやって来る予告にさえ思われた。
が、京都への出発の前夜、その返事がやって来た。返事は電報だった。「川北」で新しい店の相談に乗っていた武馬を、お師匠さんが電話で呼び出した。母の悠子が打った電文は、意外に、
「チチキトク」とあった。
受話器を握ったまま返事が出来ずに武馬は立ちつくした。
「何をしてるんだい。早く帰って来てすぐに汽車に乗るんだよ。飛行機がありゃ飛行機でおいき!」
お師匠さんの声が遠くで叫んでいる。
部屋に戻った武馬の表情に、
「どうなさったの?」
香世と明子が同時に訊いた。その香世に向って、
「父が、香世さん、親父が急に危篤なんだ」
「お父さまが! どうして急に」
「多分、心臓でしょう。前から良くはなかった。僕はすぐに発ちます」
あえぐように頷き返す香世へ、
「あなたも、あなたもいらっしゃい」
一杯に見開いた香世の眼に、おびえた影が拡がった。泣きそうな顔で香世は武馬を見つめている。
「いらっしゃいよ、お姉さま」
明子が言った。が、小さく首をふると、
「武馬さんだけいらっして」
「どうして」
「矢張り。それに、お母さまが」
「し、しかしそんなことを言ってる時じゃない」
あえいだままでいる香世へ、
「とにかく僕はすぐに発ちます。母に僕から話してわかっておいてもらいましょう。すぐに向うから連絡する。後から来て下さい」
言い残すと、武馬は玄関へ走り出た。
2022/08/02
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