~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-19)
放課後予定通り教授会が開かれた。言われた時間に武馬たちは会議室の通りの控室に入った。思いがけなく山形明子が一人先に坐っていた。
「貴方も呼ばれたんですか」
「はい」と彼女は頷いて微笑わらう。
「どうも御迷惑をかけました」
言った和久に、
「どうしてですか?」
勝気な眼で明子は訊き返した。
「いやどうも」
「私は女です。女ですからあの人は尚無礼ですわ」
「なるほどそうだ」
「諸君入って」
ドアが開いて教授の一人が呼んだ。
二十人近い教授が並んでいる。流石さすが体が固くなった。
正面に学部長、並んだ五人横に担任の繁岡氏の顔が見える。繁岡氏は入って来たみんなお見ると何故かにんまりと笑う。武馬にはそれが妙に頼母しく見えた。
その更に二人横に超人先生の姿が見えた。先生は入って来た学生をひと渡り眺めた後、先刻と同じように腕を組んで瞑黙めいもくしたままだ。
事務員が外から扉を閉めた。
「君ら、さっそくやったなあ」
繁岡氏が言った。が流石誰も笑わなかった。
「三日前のグリル君の授業中に起った事件についてグリエ君から学部長宛に抗議が来ている。グリル君は未だ少し興奮しているようだが、双方のお話を聞いた上での処置を考えるつもりです。。君たちが悪ければ君たちを、グリエ君に落度があればグリエ君に責任を取って貰います。ですからありのままを言って下さい」
冷たい口調で学部長は言った。
「諸君はもう興奮しとらんだろうね」
「初めからしていません」
柴田が言った。
「初めに机の上に立ったのは?」
「僕です。いやグリエ氏です」
和久が一歩前へ出て言った。
「君の次は」
「僕です」
武馬も一歩出た。
「や、君、君はあの時の学生だな」
横で声がした。瞑目していた超人先生が身を起こして武馬の顔をのぞいた。
「あの写真はどうしたかね?」
「出来ております。今までお目にかかる機会がなかったので、それに今日は忘れました」
事実、先生の授業は今まで二度休講だった。今日の講義には、午後の教授会のことが気になって写真は忘れていた。
先生は頷き、
「そうか、君がやったのか!」と言った。
その言葉の調子には妙に愉快そうなものがあった。
「大熊さん」
学部長が言うと、
「いやね、この学生はよく知っとるのです。入学式の時に ──」
あがって突っ立っている武馬の前で、先生はあの時父の達之助が説明した話をそのままぶちまけた。武馬は自分の顔が赤くなったり青くなったりするのを感じていた。
「ははあ、それは愉快だ」
繁岡氏が言った。
「実に愉快じゃねえ、君の父上は」
笑って頷くと、
「そうか、君がやったのか。しかしこれも大した事件じゃない。その与太者がフランス語教師に代わっただけだ」
「大熊さん!」
学部長が言ったが、先生はそのまま憮然ぶぜんと腕を組んだ。
「机の上に立ったのは ──?」
「つぎは私です」
明子が同じように一歩前に出た。
教授たちの間に軽い動揺が起った。
「ほう、この女性がかね!」
また見開いた眼で明子を見、武馬へ振り返ると、超人先生は言った。
「意気に感じざれば人生そのかいなし。大いによろしいな」
しかり」
念を押すように繁岡氏が言った。
2022/04/09
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