~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-21)
一件はそれだけで片がついた。勿論和久も武馬も明子も、9D組の誰も罰せられた者はなかった。
グリエだけが学部長から改めて婉曲えんきょくな戒告を受けたということだった。
「── 貴下の御国で通用するエスプリや冗談も所が変わればその効は半減する。勿論、当校の学生はそれを学ぶにやぶさかではないが、度のすぎた冗談は誤解を招く。その点、教師として教授の方法にいささか貴方の誤算ありと信ずる。その点、大いに反省されたし」
と学部長は通告したそうである。
流石。一件の後もあって、9D組のある時間のフランス語の教師は他の若い専任講師に変えられた。止めた訳ではないが、体裁か、それとも打った腹が痛くてグリエは未だ学校に顔を見せなかった。
グリエの一件で、9D組には始業以来短期間ながら他のクラスに先んじてクラスメート相互の連帯感が出来上がった。
その気運をタイムリーにとらえて、クラス委員の柴田は最初のクラスコンパをその週の金曜の放課後に開くことに決めた。
金曜日の午後は武馬は超人先生の哲学をとっている。教室へ出るに、今日は入学式の記念写真を忘れなかった。
忘れずに持っては来たが、どうもこの写真は見映みばがよくない。眼の下の腫れが写真の加減で馬鹿に誇張されて写っている。乱闘の余憤と入学式の興奮が重なってか、武馬も達之助も妙に胸を張って悠々正面を切っている。見方によると二人の喧嘩を先生が仲裁した後の記念写真ともとれた。とにかく、武馬は遠慮して母にはその写真を送っていなかった。
教室は満員に近かった。同じ時間の他の授業が急に休講とかで、その講座の学生たちがそのままくり込んでいるらしい。
大熊氏の講義の魅力はその脱線にあった。語り古された入門的哲学概論よりも、なにかのきっかけで脱線した後の話に氏の真骨頂がある。哲学教授大熊士郎が、超人先生となって教室に君臨くんりんするのはこの時だ。
先生は几帳面きちょうめんに始業時間と殆ど同時に教室に現われる。これは先生の性癖の一つで、止むを得ぬ事情で休講ということはあっても、先生自身が授業に遅刻するということは先ずない。万が一そうなると、先生は壇上から生徒に向かって丁寧に遅参を詫びた。だから逆に、生徒が遅れて来るといい顔はしない。授業が始まると教室の中から鍵を下ろしてしまう。ようやく講義の前説の如きものがすんだ頃再度扉を開けさせる。遅刻して、それまで待っていた生徒だけを、一人一人「遅れて申し訳ありません」と声を出して挨拶させた後入場させ、後は終わるまで絶対に入室厳禁だった。
遅刻の学生は相変わらず多いが、大抵の者が二度目に扉があくまで外で待っている。
概論の初めの部分として先生はギリシャ哲学について語り出した。相変わらず憮然ぶぜんたる面持おももちでソクラテス、プラトンを語る。
講義は進み、哲学がギリシャの青年の間にいかなる思弁の方法として行われたかを語る。ソクラテスの会話。青年を迷わせるものとして市民の弾劾だんがい
「青年を迷わせるもの ──」
言いながら先生は突然瞑目した。みんなは黙って待つ。
2022/04/09
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