~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-22)
脱線が始まった。
「青年 ──」と先生は言う。
「諸君は自分を何と思うか? 青年とは何か? 何であることが諸君自身たり得ることか?」
先生は重ねて訊いた。
「青年は自分が思っている通りのものでは決してあり得ない。いつの時代でもそうだ。まして現代においておやである。現在という青年にとって はなは 過酷 かこく な状態にあって、青年はいかに青年としてあり得ることがむつかしいか。何故なら、今日、人間の社会にあって青年の役割は殆ど失われ、青年の価値すら忘却されている。
諸君がこの状態の中にあって、まともな人間、可能な社会人として生きていくためには、諸君の青年を 放擲 ほうてき しなくてはなるまい。それゆえに、青年は孤独である。孤独こそが今日青年に与えられる唯一可能な状態である。
それは何故であるか。青年は情念の世界に生きている。彼は彼自身で直接宇宙に繋がっている。それ故に、青年は思念の内ですべてに可能なのである。青年はそれぞれが一つの宇宙を形づくり、それに君臨し支配して生きているのだ。それが青年にとっての真の現実なのである。
しかるに、青年が一人の社会人として生きるためには、全く個別の現実がある。それは先に言ったように、青年の役割を 剥除 はくじょ した世界だ。前者を青年にとっての人間的現実、後者を社会的現実と呼ぼう。
そしてこの二つの現実は互いに激しくぶつかり合いゆずるところがない。多くの青年はここで破れる。諸君の矜恃ほこりは破れ、純潔は汚される。そうやって諸君は社会的現実の中でやがて好ましき同僚、カッコつきの『好ましき青年』になっていくのだ。
しかし諸君、断じて今から『好青年』たろうとこころざしてはならない。私は先刻、孤独医こそが青年に残された唯一の特権と言った。更に詳しく、青年の孤独とは何か?
それは闘いである。人間的現実、社会的現実、この二つのぶつかり合いの火中に身を置くことである。その闘いを己の身の内に持つことである。その相剋そうこく、その闘いの内に諸君自身の手で自分の人間形成を行わなくてはならないのだ。その行方は遠く、苦しいはずである。その行程に諸君は孤独である。その方法は甚だむつかしい。
社会的現実にいどむ時、諸君は焦燥しょうそうと、いきどおりの内に暮らすだろう。青年が青年であろうとする時、諸君は哲学することから逃れる事は出来ない。若々しい真の青年の精神はその闘いを経て初めて諸君のものとなることだろう。
理屈をぬきにして私は繰り返したい。諸君、律義りちぎな好青年になろうとしてはいけない。自分に誠実な放埓ほうらつこそ、青年の本当の態度というものだ」
誰かが手を叩いた。
「もっとも ──」
先生は言った。
「諸君にはこの問題は未だ直接の実感で伝わっては来ないだろう。まだほんのひょっこの小僧だからな。しかし近い将来、それは君ら自身の問題となる事は間違いない。今は出発に際してただひとつ、律義な好青年になるまいと思いたまえ。例えば、入社試験の試験官が誰でも満足するような小さく真ん丸い人間にならないkとだ。欠陥こそ青年としての闘いに受ける尊い傷である」
先生は唇を結び、再び軽く瞑想した。

授業が終りみんなが席をたった。
武馬は廊下で先生に追いすがった。
「先生、入学式の写真です」
「ああ、君か」
写真を渡した。
手にとると、
「ん、よくとれてる」
先生は腫れた眼の下を指して笑う。
「父上は元気かね」
「はあ」
「講義を聞いていたのかね」
「はい」
「ん」
頷くと武馬の肩をぐいと突き、
「やりたまえ。率直に、思った通りのことを、大いにやって見るんだ。青年ということは、失敗し、やり直してもいいということだよ」
先生は言った。
「あの喧嘩や、こないだのフランス人はほんの序の口だよ」
2022/04/10
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