~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-23)
構内の隅の同窓会館の二階にクラスコンパの会場がしつらえてあった。食堂から取った、つまみとトンカツの皿が並び、ビールと銚子ちょうしが各自に一本ずつついている。
担任の繁岡氏がやって来、もんなが揃った。委員の柴田が開会の辞をやり、皆は乾杯した。
「それからもうひ一つ、このクラスのいわば結束を生んだグリエ事件の我々の勝利と、繁岡先生の御援助に感謝して、乾杯を ──。いけませんか先生?」
「いや、僕あ別に援助なんてせんよ。しかし乾杯はやろう」
繁岡氏は悪戯っぽく笑った。
但し学部長に聞こえると僕は煽動せんどうしているみたいに聞こえるかな」
「平気平気」
「じゃ、9D組の更なる結束のために」
「そして、我がジャンヌ・ダルクのために」
誰かが言いみんなが一斉に明子の方を見た。明子は一瞬、顔を染めて舌を向いた。
「乾杯!」
武馬が叫んだ。明子は驚いて咎めるように声の方を睨んだ。

初めのての顔つなぎで、より詳しく仲間を知るために順番に自己紹介が始まった。既にその男に関して他の知識を持った人があれば合わせてそれを紹介してもよい、と誰かが提案した。
「それじゃ僕から」
柴田が立った。
「え ──」
たちまち他の声が、
「麻雀二段」
「酒三段」
「女は五段」
「今のは冗談」
柴田が言った。
「え ──」
仇名あだな花王石鹸かおうせっけん
「うるせえな。下手な仇名をつけるな。俺のあごはそんなに長くないよ」
「それでも大分長いね」
繁岡氏が言った。
「動物学的にね」
誰かがつけたす。
「いえ、先生僕の仇名は元々カチューシャってんです」
「カチューシャ!」
「はあ、高校の時学校の芝居でカチューシャをりまして、すごく美人で学校中の評判になりまして。はあ、そりゃ、山形さんほどじゃなかったけど」
「あいつのカチューシャを見て校長が学芸会の翌日急死しましてね。次の年学校が火事で焼けたのもそのたたりじゃないかって」
同じ高校出らしい男がつけ足した。
「少しは俺にしゃべらせろ」
「もういいよカチューシャ」
「しかし、ひとこと」
「なんだ」
「いや、本当にあのカチューシャは美しかった、みなさんに見せたい」
「馬鹿野郎!」
声に向ってしなをつくり片眼をつむって見せると柴田は坐った。
つづいてみんなが次々に立った。思いがけない人間が嘘か本当か思いがけない趣味を持っていた。武骨ぶこつな感じの二年浪人が、特技といて受験中に覚えたレース編みを披露ひろうしみんなを感心させたりする。
アルコールに弱い男は、順の来る前に飲んだコップ一杯のビールで真赤になりながら、もうロレツの廻らないことを言った。眺めたところアルコールに馴れているのは半分くらいに見えた。みんなは隣り同士でしゃくし合っていたが、大抵の恰好がぎこちなく物ものなれない。
2022/04/10
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