~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-24)
武馬と和久互いにさし合った。武馬は時折達之助の晩酌につき合いをさせられたことはあったが、好きというほどのものでもない。勿論特に馴れてはいない。比べると和久の方が、さしさされる手つきが廻りの誰よりもものなれ妙に落ちついて見えた。それに全然強そうだ。
武馬は見るとともなく向いの側の明子を見た。隣りの誰かがさした。明子は一度こばんだがすすめられコップをさし出す。これも女に似ず手つきがしゃんとしている。さし返された隣りの男は妙に恐縮していた。
順が来て和久が立った。
「和久ひろし。横浜緑が丘高校。別に趣味はありません。釣りを少しやります。よろしく」
そのまま坐りかかった時。
「君いくつ?」
繁岡氏が訊いた。
「二十です。一浪です」
「わりとふけて見えるね」
「商売のせいでしょう」
苦笑して言い、言ってから和久はしまったという表情になった。
「商売って、家の仕事は何ですか?」
「はあ、人を沢山使ってますんで」
それだけ言うと武馬を促すように坐り込んだ。
武馬は立ち上がった。立って見ると少し酔っているがわかる。みんなが自分を見てい、その視線を感じると、酔いのせいか急に武馬は上がった。
出身校と名前だけは言った。その後の言葉が出ず、何か言うべきだと思いながら間を空けて突っ立っていた。
「どうした」
誰かが言う。
「いや、べ、べつに言うことはない」
「何か言えよ」
「僕らは、やはり、ありふれた友達で終わりたくない。初めに繁岡先生が言われたように、人生に向かって爪を研ぎながら、青年として存分に生きたい」
「超人思想」
「そう、超人先生も言った。青年になれと。僕らは未だ本当の青年の芽のようなものだ。その芽が一本一本の樹になり、なんとか繋がり合ってやがて林になり森になり、僕らの、青年の、時代をつくるために ──」
息が切れた。がみんな黙って次を待った。
「── つくるために、この四年間を、いや、一生つき合いたい。何かが必ず僕らを必要としている」
途切れるように言い終わると武馬は坐った。繁岡氏と一緒にみんなが拍手した。
順番が廻って向いの列に移り、やがて山形明子が立ち上がった。その頃になると酔っ払って勝手な饒舌を交わす奴もいたが、流石明子が立つとみんなしんとなる。
待ち受けるような眼に、明子はゆっくりと頬を染めた。
「山形明子です」
筋かな声で彼女は言った。
「どうせわかることでしょうから、私自身の口から申しますが、私の家は赤坂の待合です。今、疑獄で騒がれている赤坂の『川北かわきた 』は私の家です」
みんなが一層しんとなった。
彼女はうつむに加減だった顔を真直ぐに上げた。染まっていた頬も今は元通りに白い。
2022/04/10
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