~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-28)
下宿に帰り老夫婦に良さそうな下宿がすぐ見つかるかも知れないと言った。老夫婦は恐縮しながら喜んでくれた。
机の上に達之助からの手紙が来ている。浜松町の青年が同じクラスの和久であったことや、グリエの一件について事の結末の決まらぬまま書いて送っていた。
達之助の返事は和久が同じクラスだったということを我がことのように痛快がり、グリエの一件については武馬たち以上に憤慨し、その行為によって武馬たちが罰せられるようなことがあれば、学校側の非を大いに鳴らしてたちまち達之助が上京して来るような文章だった。外国を廻っている頃も寡筆かひつだった達之助にしてはまるで学校を敵と見なして非を糾弾きゅうだんするような調子の怖ろしく長文な手紙だった。実際なにかの間違いで彼らが譴責けんせきでもされたら、砂を巻いて達之助は神戸から飛んで来るかも知れない。
「── 結果に応じては、御身の父兄としてではなく、一人憂国の人間として直接学長並びに当責任者に面談談合を辞せぬものにて候 ──」
一件の結果を早く知らせろとある。
武馬は早速手紙を書いた。但し一件の結果については、達之助の意気込みを外すよう至極簡単に。これから先、学校での出来事にいちいち神経をたてさせぬよう親孝行の心遣いでもある。
代わりに超人先生の授業、そして今日のクラス会について。下宿移転の必要については父も知っているようだったが、案外早く良い家が見つかるかも知れないと書いた。書きながらその紹介者があの日の女子学生明子であり、下宿の在地が赤坂である、ということは考えた末に止めにした。後者については達之助がまた余計なことを言って来るように思われたから。
但し、あの女学生が同クラスであることは、今度の手紙にようやく気づいたような調子でなんとはなし書き添えておいた。

三日して、英語の時間の終りに明子が近づき、
「よろしかったら明日の午後、先方に御案内しましょうか。向こうにも話しておきましたから」
「はあ」
とだけ頷いたが、実を言うと武馬は明子がいつそう言うかと待っていた。
昨日、見知らぬクラスメートが、先日の話を聞いてか適当な下宿を紹介してくれたが、それは一応後に廻しておいた。
早い方がいい、とその男は言ったが、矢っ張り明子の方を一応待つべきだと武馬は思った。
2022/04/12
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