~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-34)
「どうして?」
武馬は訊いた。
「どうしてって、やくざの世界は親父おやじまでで沢山だよ。俺は子供の時からそう思って育って来たんだ。かたぎの君らには想像がつきゃしない」
和久は唇を噛んだ。
「しかし周りのものがって?」
「そうなんだ。俺が親父の跡をつがないと困る連中が沢山いるんだ。俺は和久組なんぞつぶしたっていい。いっそ親父の身代をさっぱり整理して俺は俺一人だけで生きたいよ。でも親父の死んだ後、俺を頼りにしようとしている連中が何人も居るんだ。俺が親父のやってきたことをそのまま継いでいくだけで、俺の下でなんとかきちんとやっていくことが出来るが、一旦和久組っていう古い店が崩れるとその後結局自分の身を持ちくずさないと世の中を渡って行けないというような馬鹿な、でも死んだ親父から見りゃ可愛い奴らが一杯居るんだ。そいつらのことを考えるとこいつあ俺自身だけの問題というだけでは片がつけられないんだよ」
「あの雑誌の記事じゃ君のお父さんのことを讃めてた」
「讃める讃めないじゃないよ ──」
和久は皮肉な微笑で言った。
「親父はあの世界じゃいわば最後の人間だったのさ。あんな生き方が今時あの世界で通用するかどうかはわからない。でも俺は少なくともああした世界の人間で自分の親父だけは許せたしついてもいけた。しかし他の奴らはどうしても許せない」
「親父さんを傷つけた奴ら?」
「あいつらもひっくるめて全部だ」
和久の太い眉の間にようやくまた憤りの表情がよみがえった。
「けどこれからあの世界で店を張っていくにあ結局俺の親父じゃ駄目なんだ。周りの奴らが俺に期待しているのもそういうことなのさ。俺あね、高校の初めの頃少しぐれてね、危く親父にも勘当されそうになったことがある。君だから言うがね、その頃ハマで和久の宏って言やちょっと通ったもんさ。間昼間から上着の下に拳銃を吊って歩き廻ってたよ」
和久は秘めた声で、悪戯っぽい微笑を浮かべながら言った。
「しかしそれだけじゃ君がその跡目相続とかいうのを拒否する積極的な理由はないじゃないか」
和久は一瞬咎めるような眼で武馬を見返した。
「君にあ結局わからん」
「どうして?」
「そんななまやさしい世界じゃない」
「そりゃ想像がつくよ。でも、君が君に与えられたその状況の中で、周りの期待を迎えながら君の新しい意志を通すような生き方ってのは全く出来なことなのかい。
とにかくやって見るだけでもいいじゃないか。その世界で君という防波堤がなければ、例えば君のお父さんを傷つけた川名組とかいう連中にしろ、そんな奴らが無制限にのさばって来るんだろう。迷惑するのは君の身内だけじゃなく、他の市民だってそうだ。僕はあの記事の中で、新しい和久組の君の将来が見ものだって書いてあるのを読んで、本当にこれあ見ものだと思ったよ」
和久は黙って武馬を見返した。
「君が今まで感じていた不安なり、新しい理想なりを新しい立場で思い切ってその世界にぶつけて見りゃいいじゃないか。親父さんの後を継ぐ継がないなんてその後のことだぜ」
和久はただにやりと笑って武馬を見た。その笑いは少しばかりいまいましそうだった。
「やれよ、やってみろよ。そうじゃなきゃ君は一体なんのためにこんな学校に来たんだい。ただ逃げ込むためかい。それじゃ全くつまらん話だよ」
「わかった」
さえぎるように和久は言った。が、間を置いて、
「しかし、あそこがどれだけ改修不可能な世界か、あの世界で通用する常識がどれほど並みの人間には理解しにくいものか、結局君らにはわかりゃしない」
「けれどその世界に居るのは結局僕らと同じ人間だろう」
「そりゃそうだ。しかし生活の次元が違う」
「そうかな? 並みだと思っている人間の生活だって決してまともじゃないよ。たとえば僕らの殆どがなるサラリーマンだってそうだ。結局、僕らはそれぞれに与えられた状況の中へどれだけ自分の若さを持ち込めるかってことじゃないかな」
和久は問うように武馬を見、ゆっくり頷いた。
「君h君はいいことを言う」
「いいことじゃない。本当にそれだけのことさ」
和久はもう一度頷いた。
「一度うちへ遊びに来てくれよ。せめて俺の居る世界の断片でも覗いて見てくれ。見甲斐みがいはあるよ、きっと」
その後二人は立っていき、それぞれ食券を買って玉子どんぶりとハムライスをテーブルへ運んだ。
飯の途中で突然、
「俺はね、山形さんがみんなの前で自分の家の商売のことをすっぱ抜いた時、人ごとながらどきりとした。その後で改めて感心したよ。けど考えて見ると、結局あの人は当事者じゃない。あの人はそのことから容易に逃げられる。俺はそうはいかない。そこが男と女の相違だなあ」
歎息するように和久は言った。
2022/04/14
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