~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-35)
「北川」を舞台に拡げられた運輸疑獄の幕はいよいよ最高潮に達していた。検察庁や議会委員会の査問の間に××メモ、△△情報等が飛び交い、新聞を通じて国民の疑惑と不信はこの事件に集中されていた。
「川北」の女将えい子と筋を通じる桜井大蔵大臣の建議は殆ど決定的となった。折も折、一脈関連ありと見られた総理への嫌疑が他の閣僚にすりかえられた。情報つうによればそれは彼らの間での巧みな取り引きとは言われていたが、その新事態で事件の比重は保守党内での次期首席争いの対抗馬と見なされていた桜井大蔵大臣へ一方的にかかった来た。
いずれにせよ堕落しきった政治家どもと、検察庁との角逐は次第に激しさを増し、その結果に注目が集まった。
過去幾度かの屈辱的敗北と、それにかぶさった国民の不信をはねかえすために検察側の今回の調査は慎重を極め、且つ徹底的と言われておる。
伝えられる情報では久々に現職の閣僚の勾留こうりゅうが実現されるだとうとの噂だ。そうした記事が新聞雑誌に報道される度、事件の蔭の女主人公として「川北」も女将えい子の写真が記事に添えられて掲載けいさいされた。
武馬はそうした写真を見る度妙に胸が痛んだ。あながちその写真が明子に似ているからというだけではなしに、彼が見て知っているあの明子の若々しい母親のえい子がそうした真黒な事件の当事者として出ているということ自体不条理のような気がする。
一昨日、武馬は町でえい子にいきすがった。向こうは気づかなかったが、傍目はために、先日家で会った時とは違って妙にやつれた横顔だった。
学校で顔を合わした明子にその時の印象を話した。
「この頃いろいろ気を使い遠しで体も無理しがちなの。お店の方もお姉さんが代わってやるようにしてるんだけど」
顔を曇らせて明子は言った。
「姉さんが?」
「ええ、私がこんなでしょ。似合わなくて結局お姉さんにお鉢がまわってしまったわ。元々お母さんもそういうつもりでいたんでしもの」
「大変だなあ、僕にあ君の方がむいているよな気がするな」
ひと目見た印象から、あの弱々しそうな姉の香世かよがああした世界で母親に代わって店を張っていくというのは武馬にはどうも痛々しいことのように思われる。それほど香世の印象は美しいと同時にか細く弱々しく感じられた。
「みんなそう言うわ。でも案外お姉さん旨くやってよ。ああ見えてもお姉さんしんはしっかりしてるんです。あの人の踊りを見ているとそれを感じるわ。流儀は違うけど、紫雨のお師匠さんもお姉さんの踊りだけは讃めてくれますの。よくわからないけど、お姉さんには私と違った血があるのよ ──」
「違った血?」
言われて気づいたように明子ははっとしたが、
「ええ、お姉さんのお父さんて私と違うんです。母は一生に二度恋愛して二人の子供をもうけたって自分で言いました。私たちはそう信じてます。お姉さんのお父さんがどんな方だったか。母から聞く話だけでよく知りません。でも気性の強い方だったそうです。姉を見ているとどこかにそんなところがあるんです」
「君だって相当強いよ」
「あら」
明子は咎めるように武馬を見、そのあと急いで澄ました顔で微笑わらった。
2022/04/14
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