~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-40)
「坊ちゃん、和久組は今ね、丁度坂木の旦那が見えられた時と同じように旨くねえんです。あの時以上かも知れない。そんな時も時、あの旦那のぼっちゃんがまたこうしていらっしゃるのあきっと因縁てもんだ」
「馬鹿なことを言うな」
和久が横から言った。
「彼にはそんなことのためにここへ来てもらったんじゃない」
武馬が眼で止めたが、
「辰さん、時代ってものがあ変わるんだよ」
柔らかく圧えるように言って和久は奥へ立ちかける。
「そりゃそうだ、けど若旦那」
和久をとどめるように、辰さんはきちんと四角坐り直した。
「時代が変わるってこたあ、川名のような奴らが当り前な顔をしてのさばっていいということなんですかい」
和久は黙って眉をひそめた。
「やくざが嫌いだったと言や。亡くなった先代の方が若旦那以上だったかも知れねえ。それがああやって、親分に坐って下さったからこそハマにも今まであれだけのしめしがついたんです」
「わかっている」
「そ、そんなら、あっしみたいな口から言うのあ過ぎた分でしょうが、なにも折角せっかくの学校を止めてくいださい齋なんぞと言う訳じゃねえ、どうかきちんと後目だけを継いで下さってみんなを安心させてやって下せえ。なあにそうなりゃ若旦那が眼をつむっていなすっても、もんなが体を張って縄張りだけはきちんともっていって見せます」
「その体を張るってのを、余り簡単に言わないでもらいたいな」
がそれにもかまわず、
「お願いいたします」
辰さんは畳に両手をついて頭を下げた。そのまま武馬に向うと、
「どうかぼっちゃんからもお口添えを」
「馬鹿なことを言うな」
和久が怒鳴ったが、辰さんは頭を上げなかった。
和久は逃げるように武馬を離れの彼の書斎に案内する。書斎に入って、「あんな男に会わしてすまない」
言い切った切り黙ったままだった。その横顔は不機嫌というより、武馬には苦しそうに見えた。
「でも、君のあのお父さんと死んだ親父とが知り合いだとは意外だった」
「亡くなる時、君のお父さんは君にあんて言ったんだい?」
「お前のしたいようにしろ、とだけさ」
遠い眼で言った。
「だからなお困るんだ。これが親孝行だと岩れりゃ俺は案外眼をつむってもそうしたかも知れない。でも俺が大学に入ったのを親父は俺以上に喜んでいた」
「むつかしいね」
「ああ」
「でも君は僕なんかよりずっと大人だ」
和久は肩をすくめた。
「自分に与えられた現実の中で、俺は出来るだけ広く生きたいんだ。そのために、何が一番自分に大切なことなのかそれが知りたい、それが」
2022/04/18
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