~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-43)
表に車が止まった。
「柴山がついたか」
常川が言った瞬間、得体の知れぬ叫び声と同時に煉瓦れんがを欠いたつぶてが事務所のガラスを破った。
「川名だ!」
「殴り込みだ!」
確かめようとして振り向いた和久の頭の上で電燈が粉々に割れて散った。次の石が額をかすめて飛んだ。かまえる間もなく、丸太を持った二十人近い男たちが事務所の中へなだれ込んだ。
「川名かあっ! 川名だなっ!」
仁王立ちに絶叫する和久へ一人が真っ向バットを打ち下ろした。外して胸を蹴上げた。机を打ってしびれたその手のバットをもぎ取りざま、起き上がる相手の首へ殴りつけた。石で裂けた傷から血が飛んで眼に入った。
「来い! 来い!来い!和久の宏が、はっきり相手になってやる!」
何処から出るのかと思うような声が走っていた。叫びながら和久の体の内で、突然思わぬ何かが突然に切ってあふれていった。
「若旦那!」
背の方で辰が叫んだ。
「来い!」
叫びながら和久は飛び込む相手を蹴倒し、蹴倒した相手をもぎ取った武器で渾身こんしん殴り据えていった。
武馬は誰よりもこの突然の状況を理解出来ずにいた。茫然ぼうぜんとなった彼を、机の上を払った相手の丸太が流れて打った。はじかれたように武馬は飛び上がった。次の瞬間。横に飛び相手の両手首をえた。はねかえそうとして、あがらう相手の間近な顔へ、武馬はいきなりつばをはいた。ひるんだ相手の手がはなれた。もぎ取ったその丸太が天井てんじょうで一回転し逃げようとする相手を叩きつけた。乱闘の中で、鈍くくだけるような音を武馬ははっきりと聞いた。薄気味が悪く“死んだのじゃないか”と思った。思いながら彼の体は横へすっ飛び、和久の後から襲いかかろうとする相手の胴を払った。

てほとんまばたきする間に部屋の中の様子が一変していた。机は引っくり返り窓ガラスというガラスは叩き割られた。敵味方三十人近い男たちが入り乱れた。その中で最も目ざましいのが和久だった。身をかがめはね上がり突っ走る度に彼の周りで相手の男たちの誰かがすっ飛び叩き伏せられ悲鳴を上げた。今し方まで組の者を説き伏せようとしていた和久とは全く違った人間がそこに居た。もっとも、そう感じ取る暇もなく事務所の連中はその和久に見えない気合を入れられて振るい立ち殴り込みの相手に立ち向かった。手当を受けていた角田までが机の上から足だけでおどりかかる相手を蹴返けかえした。机の下に倒れ込んだ相手に彼は自分で転がり落ち、その首へかじりついた。
なだれ込んだ相手の勢いが一応食い止められ、瞬間両者が息をついて狭い部屋へやの内に一瞬の均衡きんこうのよいなものが保たれた。相手の数は半分近くに減っている。こちらも同じだった。壁ぎわまで退がった無勢の和久組にまだ多勢をかって相手は最後の総攻撃をかけてつめ寄って来た。
殴り込みを指揮していた川名の幹部の一人が拾い直した棍棒こんぼうを構えた。もう一人がふところの刃物を抜いた。
「和久だな!」
「来いっ!」
声と同時に白刃が光って真直ぐになだれ込んだ。倒れた机と机の間でそれをかわして相手のすめを蹴上げた。かわし切れずに流れた刃が洋服の袖をさくく。立ち直る和久にかぶせてもう一人の棍棒がふり下ろされる。避ける間もなくふり上げたその懐へ捨身の体当たりを食らわせた。棍棒をかざしたまま相手はすっ飛び柱に叩きつけられる。起き上がる和久に刃物を握り直した相手が突っ込もうとする。
「若旦那!」
「危ない!」
辰と医者が隅から同時に叫んだ。瞬間、武馬が机越しにダイヴィングしその手にむしゃぶりつく。床の上に起き上がり、刃をかざしたまま押し合う二人へ和久が飛び込み相手の咽喉のどへ手刀をくらわす。手を離れた刃物を和久が素早く拾った。
「畜生!」
「止せ!」
叫んで武馬は懸命に抱き止めた。薄暗がりの中で顔をつきつき合わせたまま、一瞬和久はほころびたように刃を見せて笑った。
「すまん!」
手にした刃物を遠くへ投げた。投げながら尚起き上がろうとする相手のあごを真向蹴上げていた。
2022/04/20
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