~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-45)
橋の方角でサイレンが鳴った。
「サツがぎつけたな!」
誰かが叫んだ。
続けて逆の方向からサイレンが近づく。
「静かにしろ、怖れるこたあない。申し開きはちゃんと出来る筈だ。それに人質の証人が三人居るだろう」
「それがどうも、いつになっても眼をさましやがらねんで」
「死んだのか!」
「どうなんです、先生」
居合わせた引きつづきの急患の手当に暇のない医者が顔を上げた。
「死にはしないが人事不省だ。早く病院に入れた方がいいが、わしあどうでもいい。一人二人死ぬのもこいつらにあしめしになっていいだろう」
医者はぶっきら棒に言った。乱闘に巻き込まれたのか、上着は破れ、顔に二つ三つみみずれが出来ている。
「先生をやったのあ間違いなく川名の手ですぜ」
一人が言うと、
「わかってる」
言いながら先生は転がった男の足を蹴とばした。
サイレンが建物の外で止った。
警官が駈け下りた。部屋の様子と辺りに立ったりまだ転がったままの男たちの様子を見て警官の方が不安そうな顔をしている。
「何事です?」
「御覧の通り殴り込みに会いました」
和久が事情を簡単に説明した。警官は何となく疑わしそうな眼でみんなを見た。
「相手の証人はそこに転がってます」
「私も証人になる。こやつらのお蔭でひどい目に会った」
医者が言った。
「僕も」
武馬も出た。
「君は?」
僕の学校の友人です。丁度遊びに来ていたところでした」
警官は怪訝けげんそうに武馬の襟章を眺め直した。
「とにかく事情をお聞きしたいから署まで来て頂きたい」
「参りましょう」
和久はうなずいた。
「若旦那、貴方がいらっしゃることはない。あっしが参ります」
「いや、俺が言ってきちんと説明する。組の責任はこれからいつも俺がとる。代人は許さない」
きっぱりと言った。
「先生と君も来て頂こう」
警官は言った。武馬は頷いた。
「坂木、すまん」
「それから君ら、その相手の三人も後の車に積んでくれ」
「そいつら留置するのはいいが先に警察病院ででも手当しといた方がいいよ。顎と頭が少しずれ割れてるからな」
医者が言い、警官が振り返った。
「俺はやらんよ。こともあろうに敵を見間違えて医者を殴るとはけしからん奴だ」
2022/04/21
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