~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-46)
警察署に入ると待っていたカメラがフラッシュをたく。あわててさえぎったが間に合わない。武馬はひどく当惑した気持になったがあきらめた。二人は取調べに一晩留められた。初めての留置場だったが武馬はよくvねむった。固い畳に転がりながら激しい運動の後のような気だるく心地いい開放感を感じさえした。それに和久と一緒に居ることが矢張り心強い。調べに当たった警部補たちも和久には一目おいているようなところがある。
翌日は署長が直接調べに出た。常川や角田も腕を吊ったまま署へ呼び出された。
「和久君またやったな。君が一番目ざましかったそうじゃないか」
署長が言った。和久とは顔なじみに見えた。大方、彼が言った昔ハマでのしていた頃のつながりだろう。
「しかし今度は違いますよ。止むにやまれぬ正当防衛だ」
「まあまあ」
署長は笑う。
武馬も見ていた通りのことを話した。
「君も何だね、巻き添えの被害より加害の方が多かったみたいだね」
言って署長は笑う。
夕方近くに一応の調べは終わった。
「それで君の方としてはどうする? 同じやり方の仕返しは止めてもらいたいね。そうなると今度は君をしばらねばならん」
「わかってます。代わりに正式に川名を告訴します。通すものは通して警察の手を借ります。署長を信用していますよ」
「はは大分上手じょうじゅだ。もこちらも連中についちゃあ考えてたんだが、丁度しおだろう」
「僕が家を継いだからは、組の者をみんな警察がかまってくれるだけの当り前の人間にして見せます。丁度昔署長が僕にやった具合にね」
「はは、そりゃ是非頼むよ」
署長は肩を叩いた。
署を出ると建物の前まで組の者が出迎えに出ている。辰さんが進み出て、
「お疲れさんでございました」
頭を下げた。
「あまり大袈裟おおげさなことをするなよ」
「へえ、しかしとにかく万々歳で」
また新聞のカメラがフラッシュをたき、三、四人の記者が和久を囲んだ。
辰さんは武馬に向って改めて頭を下げた。
「どうもこの度はいろいろ御援助のあずかりまして、組に代わってお礼申し上げます。どうもへえ、因縁てえ奴は怖ろしいもので。御迷惑でも後々深いおつき合いを頂きたいもので、よろしくお願い申し上げます」
新聞屋をかわした和久を囲んでみんなぞろぞろ通りを横切ってつけてある車の方へ歩いた。
逆の歩道へ渡った時、待ちうけたように街路樹の蔭から自分に近づいた二人を見て武馬は声を上げた。明子と紫雨お師匠さんだ。同時に和久も気づいた。
青ざめた顔で明子は黙ったまま二人を見つめた。とがめるような、ひどく悲しそうな眼だ。
思いがけぬ二人に武馬はひどく当惑し、半分恥ずかしいままに突っ立ったままでいる。
「一体どうなすったの」
やっとのように明子は言った。
「どうしたって、とにかくもう ──」
「坂木には本当に迷惑をかけちまって」
「あんたがこの子を与太者の騒ぎに引きずり込んだのかい」
明子を押しのけるようにして紫雨が出る。
「お師匠さんそうじゃない、そんなじゃないんだ」
「そうじゃないもないよ。これを御覧これを。これは何です」
手にしていた新聞の束を突き出す。ひったくるようにして見た。
「ハマでやくざの乱闘。東大生? 二人を留置」
「ハマでやくざの殴り込み。重傷八人」
余ほどニュースがなかったのか、同じような見出しで昨夜の一件がどの新聞にも大きく載せられてあった。
『── 昨夜九時前後、よいの口に起ったやくざ同士の喧嘩の余勢に川名組(組長川名卓三)の幹部山岸・古川・清水らが二十数人して和久組(組長の和久元治さんは約一月前川名組の手下に刺されてそれがもとで一週間前に死亡している)の事務所に殴り込みをかけて乱闘、川名和久両組の間から重軽傷者三十人を出した。警察は同事件の参考人として乱闘に参加した、川名組の幹部山岸・古川・清水・和久元治さんの長男和久宏(東大生)、及びその友人坂木武馬(東大生)の五人を留置した』
「こ、これだけじゃ詳しいことはわからない」
「詳しいというのは何だい。たかがやくざの喧嘩沙汰じゃないか。そんなことに一緒になって大事な体を使う馬鹿がいますか」
紫雨は言うことをゆるめない。
「まあまあ、お婆さん」
辰さんがとめたが、そのお婆さんというのが悪かった。紫雨の眉の辺りがふるえたと思うと、
「お黙り。この三下」
「へつ」
「いや、坂木のことでは僕に責任があります。僕にゆっくり説明をさせて下さい」
「とにかくここじゃなんですから、車へどうぞ。向うに席が作ってありますから」
辰さんが言う。
武馬は紫雨をなだめるようにして車に乗った。」
2022/04/21
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