~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-47)
一昼夜の間に、殴り込みでめちゃめちゃにされた事務所が元通りに返っていた。窓枠もガラスも、机でも壊れたものは総て真っさらに取り変わっている。
事務所の前に組の者の残りや、関わり合いが並んで和久たちを迎えていた。机の上に方々から送り届けられたコモかぶりが据えられてある。
武馬は有無を言わさず和久と並んで上座に立たされた。明子は青い顔をして、紫雨はまだ白い眼をしたまま注がれた茶碗ちゃわん を持たされる。
誰かが音頭おんどをとって万歳が上がった。和久はとうにあきらめて、にこりともせず悟り切った顔をしていたが、武馬は明子と紫雨を前にしてますます当惑した。
和久は昨夜と同じことを簡単に挨拶した。それでも今日は嵐のような歓呼が起った。
和久は改めて武馬にわびと感謝をし、紫雨と明子に諄々じゅんじゅんことの経過を説明してかかった。紫雨はふくれたような顔で、それでも仕方なしに頷いている。
「── とにかく大切な体何だからねえ」
「でもお師匠さん。僕があの時後も見ずに逃げ出したとしたら、お師匠さんは今以上に怒るんじゃないですか」
紫雨は一寸の間黙っていたが、ようやくにんまりと、
「いいねえ、男の仲ってのあ」
言って二人にかかげた茶碗の酒をひと息に明けたのである。明子はつられたようにようやく微笑を戻した。
その時、
「若旦那、ちょっと」
辰さんが呼んだ。何故かその声が緊張して見えた。
振り返った和久と武馬に、低い声で彼は言った。
「電話があったんですが、病院に入ってた川名の古川てえ男が、やっぱり死んじまったそうです」
「死んだのか」
和久は唇を噛んだ。
「心配するこたあありません。奴らの自業自得です。他の奴らがそれを聞いたらいいしめしになりやす」
辰さんは和久の気をように言った。
「そんなことを言ったって人一人が死んだんだ。どうして死んだんだろう、きっと ──」
和久は眉をひそめた。
「若旦那、冗談じょうだんを言っちゃあいけません。あんな派手な出入りの最中に誰が誰に何をやったか、何のはずみでそうまったかわかるもんじゃありません。棍棒をまともにくらっても死なねえ野郎が、机につまずいて倒れただけでぽっくりいくことふぁってあるんです。警察沙汰になりゃ先ず咎められるにはお奴らをしかけた川名ですぜ」
「そりゃそうだろう」
「あっしと常他はまだ誰もこの事を知りゃしません。今は折角みんながこうして祝ってるんです。どうかいい顔を見せてやって下せえ。なあにいざとなりゃあっしが背負って出ます」
「馬鹿、そんなことは許さんと言ったろう。組のやったことは俺が代表する組自身で責任を取るんだ」
「だって若旦那、まさかあなた一人が ──」
「そうじゃない。俺はそんな間が抜けたお人好しじゃないよ。俺が憎いあその古川とかいう男をなんな具合にあやつって殺されによこした川名という相手だ」
「その通りで」
「だから俺はあいつを正式に訴える。常川や角田を傷つけたと同じ下手人としてだ」
「へえ」
「やくざがやくざを警察に訴えるんだ。世間は笑うかも知らないがそれが一番まっとうな筋だ」
「へえ。しかし ──」
「それでももし警察がいつもの筋書きのように誰でもいいとにかく犯人ホシを出せなんぞと言うのなら、警察のそんなやり方に抗議してやる。この世界の出入りにいつまでもそんななれ合いが続く限り、なにものも改まる訳がない。これを機会にそれから直していくんだ。あの署長ならわかってくれるだろう」
「矢っ張り若旦那は大っきい」
「かどうかはわかんないよ。とにかくこの事件を俺は俺のやり方で片をつけつ。後日相続はそれからだ。集まってくれる親分衆にその結果で俺という人間がどう違っているかを見てもらうんだ」
「わかりやした」
辰さんはしきりに頭を振った。全然感心しているといった風だった。
「いいか、だから今度のことにのぼせすぎて和久組の者が川名だけとはいwない、他の誰に対してもつけ上がった態度をしないように、辰さん、あんたからもよろしくしめしをつけておいてくれ」
「わかりやした」
もんなは大分酒が廻っていた。死んだ和久組の先代の伯父貴おじきとかいう老人が木遣きやりを上げて周りの連中が景気よくそれに声をそろえた。
2022/04/23
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