~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-50)
赤坂に帰り、武馬は早速家宛に電報を打った
「ゴシンパイカケマス イサイアトフミ タケマ」と。
そしてその夜、事件の前後の事情を説明して長い手紙を書いた。和久が達之助とかつ ての知り合いの息子であり、その彼がどのように悩んでいたかについてまで。
速達で投函しに行った帰り、武馬は遠廻りして明子の家の「川北」の前を通って帰った。毎夜のように前の路地には高級車が目白押しに並んでいる。遠い三絃の音があり、嬌声があり、いきすがる女の脂粉しふんがにおった。武馬はふとまた「川北」に関する疑獄について想い出した。それらは要するにこの華やいだ町をおおった偽りの夜の雰囲気だ。
しかしその中にたった一つ、真実がある。それは自分と明子の間にある、この、未だ適確なる表現不可能な二人の気持のつながりだ、と武馬は思った。そう思うと彼は肩をそいやかし、下駄げたをならしながら夜の通りを歩いて帰った。
翌日武馬は登校した。和久はいろいろ片付けがあってか姿を見せていない。一件についてはみんなが知ったいた。
「おい、またやったのか」
柴田が心配そうに言う。
「新聞にまで出ちゃまずかったなあ」
誰かが言った。
みんあに一応のなりゆきを話して聞かせながら、武馬は少しあせって来た。
新聞の記事だけでは誰も詳しい事情を知っていない。新聞記事が与えた印象は察するところどうも、二人が学校の柄に似ずただの狼藉ろうぜきを働いたというぐらいのところらしい。
「一人殺したそうじゃないか」
「これはまた教授会ものだぜ」
「しかし。今度はよほどうまくやらないと危ないぞ。この頃馬鹿に学生の放埓に世間がうるさくなって来たからな」
「放埓じゃない」
「それは俺たちにはよくわかったけど、教授たちはそうは思わないだろう」
「説明すりゃいい」
「しても彼らはきっともう固定観念でこれを見てるよ」
「なにしろ言って見りゃ前科がある訳だからな」
柴田は真顔で心配した。
「とにかく呼び出しの来る前に繁岡さんんだけにでも会っておいたらどうだ。俺が一緒に行ってもいいよ」
柴田が繁岡氏の居どころを調べといてくれ、放課後二人は本郷の研究室に繁岡氏を訊ねた。
繁岡氏は今までになく真面目な表情で武馬を迎えた。矢張り一件についてはとうに知っている様子だった。
「まず事情を聞こう。ざっくばらんにあった通りを良いたまえ」
武馬は達之助に書いた手紙と同じ事を説明した。
「酔っ払ってはいなかったんだろうね」
「全く」
聞き終わって繁岡氏は長く息をついた。
「教授会は開かれるだろう」
氏は言った。
「すると、その前に工作でもしておいた方が ──」
柴田が言うと、
「工作? 何を工作するのかね」
繁岡氏は眼をむいた。
「いやただ彼の言ったことを誰もがそのまま受取ってはくれないでしょう。たとい一人じゃ信じても学校の体裁ていさいだとか何かで変な意見が裁定を支配すると不利です」
「しかし何を工作するのだ。結局は一人一人に本当のことを話してわかってもらうより方法はない」
「僕もそう思います」
「しかし、それでも二人が退学になるんだったら僕はこれを学生大会にかけるつもりです」
「どうも君はせっかちだな、そう言って我々を牽制するつもりかね」
勿論もちろんそうです。先生だから言いますが」
「しかしそれは待て、そう言い出すのは後のことでもいい、私は教授たちの判断を信用したい。とにかく与えられた場で君や和久君が君らの真実を誠心のべればよろしい。それが真実であって尚かつ彼らに伝わらないと言うなら僕は僕で決心する」
「決心て?」
「学生大会に出てアジってもいい、第一教授をよすよ」
「先生、それは筋が違います」
偉そうなことを言うな。違やしない。最初にも言ったろう、君らは僕の飼っている動物だって。僕は僕なりに君らについて責任を持っているつもりだ。勿論君らが間違っていれば僕は真っ先に君らを罰するだろうし、学校から放り出すよ」
二人はうなずいた。
「とにかくくよくよするな。変に慌てると痛くもない腹をさぐられるぞ。大きくかまえて待って、与えられた場所で自信をもって、言いたいことを言いたまえ。僕も僕の考えた通りを披瀝ひれきする」
繁岡氏は肩をどやすようにして二人を送り出した。
「大丈夫、心配するな。もしもということがあっても俺が学生大会で学校の」言い分を引っくり返して見せる」
柴田は胸を張って見せた。
「俺はね政治をやるつもりだが、俺がまずアジテーターとしてどれくらい才能があるか大学で試してみたかたんだ。今まではずっと立派な成績でね。高校では俺が主導して校長排斥はいせきに成功したよ。ああ、面白くなって来た」
ひと言だから無責任に柴田は言った。
2022/04/24
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