~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-51)
予期したことながら武馬は矢張り気が重くなった。いつかの仏人教師の一件よりは今度の方がなんとはなそに不利のような予感がする。人が一人死んでいるのも悪い効果だ。
もし大学を放り出されたらどうしようか、と思った。
しかしその時はその時だ。繁岡氏の言った通り、真実をぶちまけるだけだ。それで通らなければ、決して負けたのではない。それがある現実なら、その現実に必ず違った方法でいどみ返すだけだ、と武馬は思った。

赤坂に帰り、玄関から庭を抜けて離れへ上がろうとした時、のぞいた座敷に坐っている人を見て武馬は驚いた。達之助だった。その前に紫雨と、もう一人見知らぬ若い男が坐っている。
武馬が見たと同時に達之助も彼を認めた。
「おい武馬」
手を上げて招く。
そのまま縁に上がった彼へ、
「お帰り」
達之助と紫雨が言った。
どうやら二人の出会いはさほどのこともなく一応終わったらしい。尤もこれから先のことはわからない。
達之助は彼の差し出した手紙とは完全にいき違いらしい。
「どうも御心配かけてすみません」
ただいま、の次に彼は達之助に頭を下げた。
「いやいやよろしい。お話はこちらのお師匠さんからみんな聞いた。あの青年が和久のせがれとは愉快な話だ。小さい頃わしが抱いてやったことだってある」
「しかしどうも学校で問題になりそうなんです」
「そりゃ面白い」
横にいた男が身をのり出した。無精ぶしょうひげを生やした、着ている上着だけがズボンに比べて馬鹿に立派で新しい。
「あ、僕、週刊現代の島田ってものです。例の一件についてお話をお聞きしたくてね。午前中に横浜へ行って来ました。で学校側は何て言いそうなんです」
「なだわかりませんが、どうも」
「古いからねえ、学者や教授って奴の頭は」
「古い新しいじゃない。間違ったことなら罰すればいい。そうでないことを罰する奴がいればその人間が正しくないのだ」
達之助が言う。
「しかし ──」
言いかける武馬へ、
「自信を持て自信を」
「そりゃ持ってます」
「それならしゃんとした気持でおれ。わしはお前をとがめたりせんよ。しかしもいsお前が逃げていたりしたら逆だ」
「僕もそうは思った」
「そうだろう」
達之助は大いに頷いて紫雨師匠を見返った。
「しかし、あなたの子供の育て方は少し乱暴だねえ。これでこの子が大怪我でもしたら一番おろおろするのはあんただよ」
紫雨が決めつけるように言った。
達之助の眼が光り、何か言いたそうに彼は口を曲げた。
「駄目駄目、無理したって。その通りだよ。ひと昔前はそれでも通ったろうが今時じゃ、ただがらっぱちみたいに子供を育てたってしようがありませんよ」
「がらっぱちだって」
「からっぱちで悪けりゃ、この子は少し向こう見ずすぎるよ。尤も私あ煽んな男が好きには好きだけどいざ大怪我でもしてごらん。先のある体なんだ当人が損をするだけだ。親のあなたが少しブレーキをかけとかなきゃね」
「しかし ──」
「しかしと言ってもね、あんたはこの子をあんたよりもうい少し大きな人間に仕立てたいと思うだろう。この子は大っきくなりますよ。そのためにもね、もうちょっと自分の体を大切にするように教えなきゃ。喧嘩を仕込んだのあ親のあんただというじゃありませんか」
「しかし ──」
「しかしね、私あ武馬さんが学校へ入ってこれで二度目、いえ三度目かい、今まで起こした事件を悪いたあ思いませんよ。しかしもっと大きなことのためにももう少し体を大切にしなさいと言いたいの。横浜で死んだのが何処かの与太者じゃなくこの子だったら一体どうするつもりです。そういうことがないとは言えませんよ。私の言ってるのあ要するにころあいと言うことさ。今までのところは仕方がないけれどこれから先、体をかわす、逃げるんじゃないよ。ただ体をかわすってことが大事な時がきっとありますよ」
決めつけられて達之助は黙ってしまった。武馬も同じように返答が出来ない。
「お父さんがわざわざ出て来てくれてね、その上また息子をけしかけたりしたら困ると思いましたんでね。憎まれ口で御免なさい」
「いやいや」
達之助は手を振って言った。
「お師匠さんの言われる通りだ。わしもお前にただ猪突ちょとつしろと言ったことはない。しかし尚考えてどうしても必要なことは避けてはならんと言うことだ」
「とにかくね、向う気だけで世間は渡れませんよ。折角いい学校にいってるんだもの、今出来るだけの教養をつけなくっちゃ、教養を」
武馬は頭を下げた。しかしながら意外に達之助と紫雨師匠が角だたないのに驚いた。
それでも達之助は尚ひとこと言いたそうで紫雨を横目で見ながら口を動かしかけたが、
「とにかくね出来ちゃった事件だから、このことで武馬さんが学校追い出されたりするようなことのないようにしなくっちゃ。だからもし学校があこぎなことを言いそうだったらお前さんどんどん叩いて書いとくれよ」
記者だという男に言った。
「そりゃやりますよ。そうなってくれた方が我々には有難いですがね」
「無責任なことを言うな」
達之助に言われても島田記者は平気でにやにや笑った。
「だからひとつ話を聞かせて下さい」
「何を話すんですか」
「いきさつは横浜で和久さんから聞きましたがね。あなたと和久さんの友情についてひとつ。とりあえず最初の雉は和久組の新しい親分を中心に書きます。いろいろ話し合いましたが、なかなかいいですなあ彼は。矢張り言っていた通り川名を正式に告訴しましたよ。警察では川名を召喚するようです」
島田記者は一人で饒舌しゃべった。
「彼のような新しい芽があんな世界に出て来たのは実に面白い。ああいおう芽は育てなきゃいけません。不肖私、出来るだけのことはやるつもりでいます」
彼は胸を張って見せた。
「記者ってのは旨い嘘をつくからね、余り当てにあならないよ」
すかすように紫雨師匠さんが言う。
「ひでえなあお師匠さん。僕に限って間違いはありませんよ。僕だって自分の書くものが直接なんかの役に立ったのをこの眼で見たいんだ」
「和久のためになることならなんでも話します」
武馬は言った。
2022/04/24
Next