~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-52)
秘かに心して待ってはいたが武馬や和久に対する教授会への召喚はなかなか通知されなかった。
和久はずっと学校を休んでいる。
柴田たちは心配しながら繁岡氏に言われた通り情勢を見守っていた。
「嵐の前の静けさか」
半分面白そうに柴田は言うが武馬にしてみればそれどころではない。和久が顔を見せないのが妙に心細い。
二日目の夕方家へ帰ると学校から速達が来ていた。
「いよいよ来たヨ」
流石心配そうに紫雨が言った。達之助は黙って封を切る武馬の手元を見つめている。矢張り結果が心配で、ことの決着がつくまで達之助は紫雨の所へ厄介やっかいになっている。武馬の一件にまぎれてか、或いはてんから気性が合うたちなのか、武馬が留守の間も二人は旨くいっているようだった。
速達には明後日の三時からの教授会に出頭するようにと、記されてあった。
武馬は横浜へ電話してみた。和久だ出た。
「教授会への出頭命令が来たぜ」
「ああ、俺のところへも来た」
「君は出て来れるのか」
「出る。君の責任は僕にある。警察の方も一段落ついた。署長には用があっても明後日を是非外してくれと頼んでおいた。学校での予想はどうだい」
「みんな知ってはいるが、全然見当がついかない」
武馬は繁岡氏に言われた通りを話した。
「そうだな、出来るだけのことを尽くそう。本当に君にはすまん」
「また同じ事を言うな。じゃ明後日会おうぜ」
「よし」
切りかかったが、
「あ、それから一つ頼みがある。近い内にいよいよ親父の後目相続の式をやるんだ。その時俺の立会人で是非君に出て欲しいんだ。出来れば君のお父さんにも」
その電話のすぐ後に例の島田記者から電話がかかり学校の方の様子を訊ねた。
「明後日が教授会、それあ良かった。僕の書いた記事が明日出る号にるんです。何かの援助になれば幸いだ。とりあず学校宛に本を送り届けておきましょう。教授会でごたついたら教えて下さい。別の形で第二弾を打ち込みます」
一人で用件だけ饒舌ると電話を切った。

翌々日武馬が出かける時達之助は言った。
「淡々として行け。骨は俺が拾ってやる」
「あんたの言い方は大袈裟おおげさなだけよ」
横で紫雨が決めつけた。
その日の午後教授会が開かれることは柴田の口からたちまちみんなに知れ渡った。
午休み、何日ぶりかで顔を合した和久は以前より落着いて見えた。事件で気持がふっ切れたせいか、前に感じられた影のようなものが見えない。責任ある位置に坐った人間の落ち着きと度胸どきょうのようなものが早くも感じられた。
学生新聞の記者がやって来、
「教授会の裁定如何によっては君らだけでなく我々学生全部にとっても本質的な問題と考えられるので新聞としても君らを応援することに決めました」
と言う。
武馬と和久を囲んでみんなの中に、ことの前から甚だ好戦的、一種悲壮な抵抗の雰囲気のようなものが感じられた。それを一人で背負っている観のあるのが、自らアジテーターを買って出ている柴田だ。
「しかし今から余りいきまくのはかえってよくないよ」
圧えるように和久が言う。彼が一番落着いている。
「これ読みましたか」
新聞の編集委員の学生が週刊誌を出して見せた。週刊現代の最新号に島田記者の言った通り事件がルポ風の記事になって載っている。どこから手に入れたか学生服の和久と武馬の写真も載っていた。
「ハマに新風吹くか。殴り込みをはね返して立つ若い東大生組長」
という見出しで、和久川名両組の過去の軋轢あつれきから先日の事件までの簡単な記録と、今後のハマの新地図への期待が和久を中心に記されてある。島だが言っていた通りの好意的な記事ではあるが、若い親分が東大生になる事を必要以上読みもの興味で書いてあった。
友人として和久について語った武馬の紹介に、彼の親友であり殴り込みの当夜彼を助けて獅子奮迅ししふんじんし相手を撃滅した勇士、この思わぬ太刀だちに和久組は勢いを得て反撃に成功した、などと書いてある。大方、話の出所は辰さん辺りだろう。
三時前、仲間たちは図書館横の庭に集まって二人を見送った。
振り返った時、みんなから少し離れた所に明子が立って見守っているのを見て武馬は感動した。明子は何か言いたげに心配そうに見えた。
建物に入りかかった武馬に学生が一人近づいて言った。
「おい、またやったな。首がつながったらラグビー部に来てくれよ」
森といった二年生だ。
「いつもこんな時に顔出して悪いけどな」
「ほんとだよ」
「しかし頼むよ。喧嘩するよりラグビーの方が体にいいぜ」
「───」
「気を楽にしていって来いよ」
他人ひとごとのように森は言った。
2022/04/25
Next