~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-54)
「自分の生い立ち、ぐれた高校時代、それからの立ち直り、そして自分が生まれたその特殊な世界のためにいかに規制を受けたか、その世界をどのように回避しようとしたか、そして今、自分がどのような決心で組を継ごうとしているか、それは武馬が聞いて知っている通りの和久自身の歴史だった。
「── 僕は和久組を継いで組長になります。その雑誌が面白そうに書いているように若親分になるつもりです。しかし、それあそんな生易なまやさしく面白いものじゃありません。しかし僕は決心しました。そしてその決心をとげていくために、東大という場は僕には必要です。
しかし、逆に東大がその若親分を不要とし、容れてくれないのなら ──」
和久は息をつぎ、唇を噛んだ。
「どうする」
超人先生が言った。
「東大を捨てます。僕がこの学校に必要としているものよりも、あの世界がおそらく僕のような人間に必要としているものの方がはるかに大きいでしょうから」
「うん、それは本当だ!」
呼吸の合った合いの手みたいに先生が叫んだ。
「それだけです」
和久は会釈して一歩退さがった。彼の横顔はとうに緊張していずゆったりと落着いて見えた。武馬は彼の言葉が部屋にいる教授たちを説得する、というより教授たちのなかへ浸み込んで行くのを教授たちの表情から感じ取った。最後の言葉を言い切った時の和久は実に悪びれず、堂々と自信があった。
一歩退った彼の居ずまいの中に、勝負をすまして呼吸も乱さず刀を収めて退がるさむらいのような気配がある。
繁岡氏は腕を組んだまま黙って眼をつむっている。
「坂木君、君は」
学部長が言った。
言われて一歩前に出た。流石さすが動悸どうきが打った。
「僕は、あまり言うことはありません。ただ、僕は、悩んでいた彼を見ていました。そして彼の決心に共感しました。そして今、先生たちの前でああ言い切った和久を見て、僕は、彼を尊敬します。ぼ、ぼくが彼の立場に居たとしたら、同じように言いたいと思います。言えるかどうか、わかえいませんが。
僕は確かに乱闘しました。学校の襟章をつけた学生服を着てです。しかし、今僕は満足です。自分が、あそこであれだけ暴れて、いえ、はたらいて、和久という友達を死なせずにすんだということで、僕は自分で自分をめてやれます」
「いいことを言う!」
と、超人先生。
「ことのいきさつは彼の言った通りです。しかし何であれ、その中で僕は和久という友達を助け、救いました。それが新聞沙汰になり学校の名誉ということで咎められるのなら、仕方ありません」
「仕方なくはない!」
「大熊さん」
「そ、そうだとしたら、ぼ、ぼくは、友人を見捨てて保たれる学校の名誉よりも、助けて退学にされる不名誉を選びます」
言い切った武馬の胸につかえていた何かがすっと晴れた。
2022/04/26
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