~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-55)
言い切って武馬は一歩元へ退った。それ以上言うことはなかった。並んで立ったまま二人はゆっくり黙ったまま顔を見合わせた。黙っていながら今の二人の間に強く通い合うものがあるということを武馬は体の内に感じていた。
矢張り上気しているのか、体の中の血がかっと熱く感じられる。必要以上に教授会に向かって啖呵たんかを切るようなものの言い方をしたような気がした。
“かし矢張りあれでいい”
武馬は自分に向かって言い直した。
紫雨お師匠さんは体をかわすことを覚えろと言った。しかしこの場に立った今、ますますあのkとが自分にとって避けることの出来ぬ、達之助が言ったように、友人として必要な頃だったと武馬は思う。そして教授たちの前でそう言い切ることもだ。
“後はどうにでもなれ”
彼は思った。
“親父から受け継いだ気性とこのやり方で、或いは俺は一生損をするかも知れないな、しかしそれはそれでもいい”
武馬は言い終わった後、教授たちは黙って二人を見つめていた。どの教授の顔にも少なからず困惑の表情がある。部屋全体の雰囲気がどの方向に動くかがこの数舜の沈黙の内にかかっている感じだった。
それを救って破るように、一つせきばらいすると、
「友人を見捨てて保たれる学校の名誉よりも、助けて退学される男の不名誉か、うむ、こいつあ殺し文句だぞ、しかし実にその通りだ」
超人先生は言った。
「坂木君、心から君はそう思うか!」
喝しておどすように訊いた。
「思います!」
低い声で、がはっきりと武馬は答えた。
「それならば何かが君を不法に罰しようとも、君は自信を持って進んで行けるな」
「行きます」
「よろしい」
満足そうに先生は言う。
「諸君は青年だ。まがいなく、いきのいい若ものだ。その青年が青年として正しく在り得ないような状況がいまにやって来るといつか私が言っただろう。君たち自身の現実が、君たちを囲む別のものの現実と衝突する時が来ると。その周囲が君らにのぞむものはカッコつきの『好ましい青年』という奴だ。君らは断じてそれになってはいかん、いかんのだ。
この大学が本ものの青年と、カッコつきの『好ましき青年』と、どちらを望んでいるかがここで決められるのだ。いや、と言うより、大学が一体何のためにあるのか、大学の使命がどのような人間を作り出すことにあるかがこれではっきりするだろう」
半ば体を開くと、二人に対するというより部屋全体に向うように先生は言い切った。
「新聞屋雑誌の記事の印象の好悪などという皮相な観点でこの問題を割り切らないでいただきたい。二人の担任としてではなく、この大学の、一人の先輩として私はお願いしたい」
繁岡氏が言った。
「この教授会の裁定が東大の将来の伝統に曲がり角をつけませんように、先生方にお願いしたいのです」
「うん」
超人先生が頷く。
「御意見は後にして、有ったらば学生に対するご質問を先に願いたい」
学部長が言った。
「君らは乱闘の時に少しは本学の学生であるという意識は持たなかったのかね。常に心にそれがあれば、もう少し騒ぎを何とか別の形で納められたんじゃないか?」
教授の一人が訊く。
「それは ──」
和久が言いかけた時、
「それは意味のない質問だな。職業や身分の意識が行動を変えるようならそんな行動は嘘だよ。二人が自分自身の信じた倫理で事を運んだというところが良いのだ」
超人先生が言う。
「勿論後では学生の身であんなことをしたということに慚愧ざんぎしましたが、その瞬間はそれよりなにより、ただ殺されまいということで精一杯でした」
武馬は言った。
「反撃に出た時もかね?」
別の一人が訊く。
「これによると反撃目ざましく相手を殲滅せんめつしたとあるがね?」
教授は週刊誌を指で叩くとにやにや笑った。
「どうも君らを見ていると反撃が必要以上に強すぎたんじゃないかとようような気がするね」
「どういうことですか」
「血気盛んすぎるようだな」
教授は笑った。
別の一人が武馬に、
「君は何か運動をやってないのかね」
「はあ、やってません」
「何かやりたまえ。スポーツは君のような人には好都合の中和剤だ」
「それもいいだろう。ラグビー辺りはどうだ」
超人先生が言い、他の教授が笑った。
武馬はこの建物に入りしな声をかけた二年生の森を想い出した。
「それでは君らは退ってもらおう。向うの部屋で待って下さい」
学部長は言った。
二人は揃って部屋を出た。出しなに繁岡氏と視線が合った。繁岡氏は唇をむすび直すようにしながらただ眼で笑って二人を送り出した。
「どうだろう?」
低い声で武馬は和久に訊いた。
「大丈夫なような気がするが、超人さんが随分頑張ってくれたな」
「どうも我々に肩を持ちすぎてくれるんで、逆効果ってことあないかしらん」
しかしあの先生、教授の間じゃ人望はあるそうだぜ」
「これでとにかくすんだんだ。気持はさっぱりした。俺は後どうなってもいい」
「坂木 ──」
和久は立ち上がって武馬を見つめた。延ばした片掌かたてに応えた武馬の手を和久は両の手で包むようにして握った。
「有がとう。とにかくそれだけだ」
2022/04/26
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