~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-56)
二十分ほどして二人は呼び戻された。流石さすがに緊張が戻った。二人は部屋の真ん中に立った。
超人先生が紅潮した顔でハンカチを出し顔の汗を拭いている。定めし二人のために一席の弁説を行ったに違いなかった。繁岡氏は先刻と同じ表情で二人を見つめた。二人を呼びに来た学生部長が坐ると学部長が咳をした。部屋全体の印象は良い結果のように思えたが、学部長の無表情は薄気味悪い。
「今度の件に関しての、教授会の裁定を申します」
そこでまた一つの咳。
「二人を譴責けんせき処分にします。一応」
と学部長は言った。隣りの学生部長がちらと笑った。
「諸君をこれ以上の罪にする積極的理由は確かにない。しかし、我々はその現場に居た訳ではないから厳密には言い切れないが、総合した印象から諸君があの事件をあのようなことにまでしないですんだ可能性が、あるいは有ったのではないかと臆測します。我々が諸君を譴責、というより忠告したいのはその点についてだ。つまり、要はこれから先の問題だが、確かに大熊先生の言われたことも真実だが、しかし我々はみんなこの周囲の現実の規制というものを避けることは出来ないのだ、だからその相剋そうこくの中で自分を喪くしてしまうことなくその現実に自分を受け容らせなくてはならにと思う。その点、諸君が段々にもう少しの柔軟性を身につけていかれることを我々は希みます。誤解されないように、それは卑怯になれというのでは決してない」
“お師匠さんと同じことを言うな”
武馬は思った。
学部長は初めて薄く笑うと、
「それに君たちはややこの学園騒乱のとががあるからね。出来れば三度目は学部長が変わってからにして頂きたいな。それから和久君、和久組のとりしまりは厳にお願いしたいね。何事かあって若い親分が叱られると、もの好きなジャーナリズムなら東大の学長にまで責任を取らせかねないからな」
言いながら学部長は席を立った。続いて教授たちも立ち上る。
実際のところほっとした。
「よかった。俺はいいが、君までがもしかしたら本当に困った」
和久は素早くにやりと笑って見せた。
二人は繁岡氏と超人先生に頭を下げた。
「大熊さんに感謝したまえ、厳罰論も出たが、結局先生の大演説が裁定を決めたようなものだ。全くそのまま新聞に載せて他の学生にも聞かせたいくらいだ」
言われるまま超人先生にもう一度頭を下げた。
「いいことだ。時々こういやって変に固まりかかったものの考え方をゆさぶる必要がある。君らもその自信をもってことを起こしていきたまえ。ただし、やるならば段々に大きくことを起こすことだ。フランス人教師に、殴り込みか、今度は一体何をやるかね」

建物の前ではもんなが待っていた。
「なに譴責、譴責されることなど何もないじゃないか」
柴田がたちまち不服をとなえる。
武馬は学部長の言い添えた言葉を説明した。
「それにしたってなあ、譴責とはなんだ、譴責とは」
「そう言うな、これあ一種の大岡裁きだよ」
繁岡氏が言った。
「君らはまた文句を言うだろうが、その言葉だけで外に対する学校としてのしめしもつくというだけのことだ。譴責というより実際は誠意ある忠告だよ。君らもそこのところは充分に汲むんだな」
群がったみんなの後に明子がいた。顔を見合わせ明子は心底安心したように笑い返す。
「よかったわ、おめでとうございます」
「ありがとう」
二人の受け答えに実感がこもって周りが急にしんとなる。気づいて武馬が赤くなると同時に明子の頬も染まった。
柴田がわざとらしく咳をしてみせた。
逃れるように、
「お師匠さんの所へ電話しますわ」
武馬へ言って明子は駈け出した。
2022/04/27
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