~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-64)
そのまま東京駅へ達之助を送って行った。
達之助は余りものを言わなかった。汽車が入って来た時、
「いい姉妹だ」
思い出したように言う。
出発時刻がせまると、前に坐っていた武馬を引き据えるように両肩に手を置き、
「いい友達は大切にしろ。段々大人になれ。しかし妥協するな」
何かの項目を読み上げるように言った。言い終わると達之助はゆっくりと馬鹿に感慨深げに、それでいて満足そうな顔で笑った。
発射のベルが鳴った。窓の外に立った武馬に、
「和久君によろしく。それからあのお師匠さんにも。なかなかいい下宿だ、ある意味では願ったりだ。母さんは多少心配するだろうがな」
「母さんより父さんが心配だった」
「前は全く父親を見る眼がない」
言うと達之助は声をたてて笑った。
汽車が動きだした。いずれにしても父親を安心させて東京から送り出せたことに武馬は満足のようなものを感じていた。
“段々俺は一人立ちになる”
胸を張るような気持でそう思った。

翌日えい子の葬儀が行われた。土地柄か、或いはえい子の人徳か、参列者が沢山あった。商売柄捧げられた花輪や供物くもつに大会社や政治家の名前が多い。武馬には華々しいとさえ感じられる葬式だった。それでいてわびしさがあった。参列しながら武馬は紫雨お師匠さんが言った言葉を思い出していた。
“赤坂の料亭なんて、なんて商売だ!”
彼は思った。えい子がやったような仕事を、明子や姉の香世にはどうしても継がせたくないような気がした。
華やかな葬儀の中で二人の姉妹だけが、当り前のことだが、心からえい子の死を悼んで沈んで見えた。しかし健気にもうなだれようとせず、顔を起こして視線だけは伏せながら挨拶を受ける二人の姉妹は、見守る武馬の眼に痛々しく美しいと同時に、本当に寂しそうに見えた。
参列者の中に学生服を着たのは武馬一人だ。他の人たちは多少胡乱気うろんげに彼を眺める。周りの雰囲気から居心地よくはなかったが、武馬は目の前にいる彼女たち二人だけのために坐っていた。
明子は武馬が来ているのを知っていた。時々うかがうように彼の方へ眼を向ける。武馬はそれが、彼女がここに自分の居るのを確かめて安心したいるように思えた。時折一瞬、ちらと視線がいき合うだけで武馬は満足だった。
2022/05/01
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