~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-73)
同じ紋つきで向き合って坐ってると段々気分は落着いて来た。
「なんとかなるだろう」
「なるさ」
あい変わらず和久は預けっぱなしで言う。
二人は互いに相手の紋つき姿を眺め合った。なんとはなし自然に二人は声を立てて笑った。
「こんなことをやるのはいかにも時代錯誤じだいさくごだがね。しかし無害な、と言うよりこれからに何か具体的な形で益のありそうな様式は、たとい古くさくても踏襲とうしゅうしたらいいんだ。こうやってみんなに顔をつないでおくことで、みんなが俺のこれからやることに少しは関心を持ってくれるだろう。それが彼らの反省や改革のなにかの種になればそれでいいんだ」
和久は言った。
暫くして、
「それじゃ向うの席へどうぞ」
家の者が二人を呼びにやって来る。
長い廊下を、座敷をぶちぬいて作った大広間の方へ歩いた。なんだか片手に刀でも下げていきたいみたいな気持だ。
広間の外の廊下には辰さんや和久組の幹部が並んでいる。
広間に入った。みんなが待っていたように入って来た和久を、そして武馬を見つめた。しわぶきの声がいくつかある。広間一杯に人間が居た。
“ははあ、これが親分どもか”
武馬は落着こうと、その顔をゆっくり見廻しては見たが、紋つきと背広を着ている見分け以外、どれもみんな同じような顔に見える。
言われて和久の斜め横前に武馬は坐った。和久はゆっくりした表情で部屋内の一番末席に坐っている。みんなが改めて二人を見た。武馬を見て意外そうな顔がある。ようするに、部屋の空気からすると彼ら二人が全然場違いに若く見えた。
「それでは先代との縁故もありますて不肖私桜木乙造が式の運びをさせて頂きます」
和久を挟んで武馬と反対側に坐った初老の男が言った。耳の後から前顎にかけてすごい刀傷がある。二人が警察から出て来た後の祝いの席で見た顔だ。
「本日は親分衆にはお忙しいところ、はるばる遠くおいで頂きましてまことに、まことに、ありがとうございます。こうやって親分衆のお眼の前で和久組組長五代の相続をさせておめみえを頂、改めてお近づきを頂きました後はどうぞ後々御面倒でも引き立てて頂きたくお願いします。それじゃあまず、盃をいただく前に和久組新組長からの御挨拶をお受けになっておくんなさい」
男が振り返ると、和久がゆっくりと膝前に出て坐り直し、畳に手をついて頭を下げた。武馬は黙って胸を張ってそれを見てたが客の一人がじりじろ自分を見ているのに気づいてあわてて一緒に頭を下げた。
和久は一度ゆっくりと一座を見回すと、後は心持眼をふせたまま、
「ええ、和久元治の伜の宏でございます。ただいま桜木の小父さんからも申し上げました通り今日は本当に遠路おこし頂きましてありがとうございました。これもただ先代の徳と心得まして、組長を継ぎました後も、せめて先代までの徳をつみたいと心して居ります。そのためにも、みなさん、え、みなさまのなにくれない教えをたまわりたいと存じます。ええ、しかし ──」
とここで和久ははっきりと頭を上げると一度ゆっくりと唇を結んだ。武馬も同じように頭を上げてみんなを見た。
「── しかし組を伸ばし人を助けるためには、私は私の信じたやりかたでやりたいと存じます」
2022/05/06
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