~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-74)
一番上座に坐っている赤ら顔のでっぷりした老人がぐいt眼をむくようにして和久を見つめるとゆっくりこたえるように頷いた。
「その、やり方がもし間違いでありました時には、いさぎよくお叱りを受けたいと心して居ります。私は考えに考えました末にこの後目を継がして頂く決心をいたしました。私と言う人間がこの責任ある場所に坐る自信は今もって甚だ危いところがあります。しかしそう決心しましたからには、その不適当な自分をこの場所で出来る限り活かすためにも、私は、私が信じた方法でやってみたいと存じます。
この世界にも古い良さと同時に、古い悪さもあるでしょう。私のやり方がその良さだけを活かしていけることが出来れば幸いと思います。
どうぞよろしく、この若僧からお目を離さずに頂ければ幸いであります」
もう一度手をつき直してゆっくり頭を下げた。
“いいぞ!”
同じように頭を下げながら武馬は思った。
手をついてまたもとにすさりながら和久は少しも卑屈でなく、言うべきことを言って堂々としていた。あつ意味では、和久は今の言葉で父親の古いつながりについて釘をさした形だ。武馬は素早く一座の人間の表情を見渡して見た。
例の上座に居る老人は遠くから小さく幾度も頷きながら、和久に向かって微笑している。しかし中には、半分驚いたような顔で、改めて彼を見直している親分の居た。
形式的な献酬けんしゅうが上座から始まり、やがて終わった。
「それではここで御来席のみなさまの親代わりとして辰川の大親分から何かお言葉を頂きたいと存じます」
桜木が言うとみんなが床の前に坐っている例の老人に頭を下げた。
老人はゆらぐように体をゆするとひとつ咳をし、
「まずは目出度いな。私あ実際いい人が先代の後を継いだと思う。好一対というが、先代と今度の組長はなかなか面白い取り合わせだ。お前さんは今ああ言いなすったが、組長って柄に似合わなかったのあお前さんより先代の方かも知れない。私あよく知ってたがお父っつぁの方がそうやってむつかしい大学へいく方が似合いの人だったな。
しかしいう通り、この世界も変わらなけりゃならない。この世界の中で世間につれて変わるのはろくなところじゃない。かんじんの心構えが変わらないから妙な無理が出来て世間を騒がしたりする。新しい組長がいい事を言ったな。お前さんはお前さんの納得できるいいやり方をさがす。それが良いものなら年寄りが若い者に習ってもいいんだよ。いいことだおたんなさい、私あ楽しみにしてお前さんを見ている」
老人が口をつむると、みんながまた頭を下げた。
「うーむ」
廊下の外で辰さんがうなる声がした。
「それじゃ最後に後見といたしまして、坂木さんに御挨拶を」
桜木が言った。
予期してたことだがいかにも突然言われたようで、かっと血が頬に上り、いやになるほど動悸どうきがして来る。
坐り直して頭を下げようとする武馬を体で制すると、和久が、先に頭を下げ、
「ええ、実はこの後見は私が特に頼んで出席してもらいました。坂木は私の学校の友人ですが、実は、私がこの組長を継ぐ決心をいたしましたのも彼の助言によって自信、といいますか、ある決心をつけられたからであります。それに実は、坂木の親父さんと先代とは私たちに似た近づきがございまして、その点も因縁のようなものがございます。詳しい話は後ほどまた座が変わりました時にでも御披露させて頂きます」
言うと武馬に向かって会釈した。
武馬はもう一度頭を下げた。和久とは違うのだから手はつかない。手をつかなかったことで妙に武馬は落着いて来た。
所詮しょせんは畠の違う人間だ、それが妙にぶった挨拶をしたってなんの新味もない。和久が説明した通り、俺は彼の学校の友人で沢山なのだ、と思った。
2022/05/06
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