~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-77)
「私あさっきあんたたちの話を聞いていてふとまたその息子を思い出してね。今は世の中が平和にはなった。しかしその逆にかんじんの若い者が何を考えているのか私らにもわからなくなった。がだ、あんたたち二人を見て私あ安心てえような、こう、のぞみがかけられるような気がしたね」
二人は黙って頷いた。
これから先なんかあったら相談に記なさい。私の出来ることならやらせてもらおう」
和久が頭を下げた。後で辰さんがなおさらかしこまって手をついた。
やがて座はだんだんにぎやかになり歌が出音楽が出てごった返した。その内辰川が帰ったのを潮に參客は一人一人新代に挨拶して引取っていった。
武馬が一人着替えていると奥の座敷に最後の客を送り出した和久と辰さんと櫻木の小父さんが入って来た。
三人は敷居のそばで畳に手をついて頭を下げると丁寧に今日の礼を言った。上衣のボタンをはめながら武馬も慌てて坐り直す。
「お礼の言葉もない。いつも君には迷惑ばかりをかける。いつか必ず何かの形で君の友情に俺は報いたいと思ってる」
和久は短く言って頭を下げた。
「止してくれ、俺は何も大したことをしたわけじゃないよ」
武馬は言ったが、いつもと違って黙って頷き返す和久を見ていると妙に厳粛な気持になった。
その後行われる内輪の祝いにもと言われたが武馬は緊張で疲れてと言い訳して屋敷を辞した。和久と辰さん以下、片づけをしていた組の者が総出で門まで送りに出た。
行きと同じに角田が赤坂まで送ると言うのを後の内祝いのことを考えて無理に桜木町から帰してやった。
もう少し祝いの酒の廻った角田はホームで乗客の見ている前で抑制のきかなくなった大きな声で電車の出るまで幾度も幾度も礼を繰り返す。一見してそれもん・・・・と知れる角田が客人客人と武馬を呼ぶ度に周りの客が驚いたように彼を眺めて気恥ずかしかった。
2022/05/10
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