~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-81)
武馬が入部してから二週目の日曜日、先輩の多い実業団チームとラグビーの練習試合が横浜のさわグラウンドで行われた。
入部早々でまだ出場というところまでいかなかったが一応補欠ということで武馬もみんなと一緒に横浜まで出かけた。
横浜に行くと言う武馬へ紫雨お師匠さんは、
「おや初めての遠出だね、それでもお座敷がかかるようになりゃどうやら一人前だ」
ラグビーの選手も芸者並みの評価で形がない。
その代わり家で作ってくれたお弁当というのがまるでハイキングにいく時のような豪華版で、試合の食事に武馬はみんなからさんざんひやかされた。
試合の後半、練習試合の特別ルールで武馬もレギュラーと交替して出場し訳のわからぬながらこの二週間習った通りにかけ廻った。
後半の終了間近く、じりじり腕をこまぬいていた武馬にスクラムからかき出されたボールが渡った。ブラインドにまっしぐらに突っ込みながら段々厚くなってくる敵のバックスに、リターンパスすると見せかけてちょっとしたフェイントのモーションで敵を二人抜いて武馬は独走した。
ゴールラインが一瞬一瞬近づいて来る。ボールをかかえた腕に動悸が打つのが感じられる。タッチに添って武馬は懸命に駈けた。ちょっといいところを見せられるぞ、という気持があった。
次の瞬間、ゴールラインほとど数メートル前で、懸命に戻った敵のバックスが捨身のダイビングタックルで武馬の足を払った。
投げ飛ばされたように武馬はボールをかかえたままグラウンドの上にすっ飛んだ。
すっ飛ばされながら瞬間、武馬はかっとし、次の瞬間、唖然あぜんとし、そしてもの凄く愉快だった。
そのまま組ついて来る相手を突き飛ばして前へ駈け込もうとした。その足を次のタックルが払った。
頭をぶっつけて転がりながら、
“なるほど、これだな!”
と武馬は思った。
試合の後の先輩との茶話会で、先輩の一人が武馬に、
「君はなかなか馬力があるけど、もう少し早く仲間にパスしていかなきゃいかん。ラグビーは足だが、しかし足だけでは勝てないぜ」
と言った。
“なるほど”
もう一度武馬は思った。
2022/05/13
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