~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-83)
組の事務所で和久に会ったが見たばかりの杉のことは言わずにおいた。
しかしいつかきっとあの男には、誰か友人の助けがいるのじゃないかと、そんな気持がしてならなかった。
「ラグビーの試合か、いよいよ始めたな。君が正式に初出場の試合には君の者組の者をあげて応援にいくぜ」
和久が言う。
「冗談じゃない。そんjな柄の ──」
「悪い助太刀はいりませんか」
辰さんが言う。
「まあそう言わずに、坂木さんの試合となりゃ気の早い若い者ならノールをつかみに駈け出します」
「まそいつあ今からことわるぜ」
和久が声を立てて笑ったが、武馬は半分くらい心配だった。
夜、赤坂に戻って、
「今日は横浜で思いがけない人に会いました」
お師匠さんに言った。
「へえ誰だい」
「お師匠さんのお弟子の、雪葉さん」
「おや、遠出だね」
「ええ、思いがけなかった。一緒にいた奴がまた思いがけなかったんでね ──」
「ちょいと」
お師匠さんが手を上げて言った。
「あんたはまあこの界隈じゃ芸者にはなんのかかわり合いのない素人しろうとさんって訳だけどね、それでも日頃顔を合わせて口をきくだけの仲は仲だ。雪葉の相手が誰だったか知らないけれど、そんなことを言っちゃあいけないよ。この世界じゃ他人のそういう話は見ぬ聞かぬ知らぬ。ね。そういうことにしときなさい」
「そうじゃないんです。そんなことぐらいわかってます」
「おや、それならもうお黙んなさい。誰もが聞きたい話はね、最初にした人間がうらまれる」
「それがね、僕だってお師匠さんだから言いますが、雪葉さんの相手が僕の友だちなんだ」
武馬は言ってしまった。
「へえ、武馬さんの。この頃の学生もすみにあおけないね」
「とは思ったんだけど、僕の感じじゃそんなもんじゃない。あの二人がどんな関係か知らないが今日見たあいつは馬鹿に憂鬱そうだった。この頃その男、少し変なんです」
武馬は杉についてのあらましを話して聞かせた。
2022/05/16
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