~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅶ』 ~ ~

 
== 『 青 年 の 樹 』 ==
著 者:石原 慎太郎
発 行 所:河出書房新社
 

青年の樹 (01-97)
嗚呼ああ、という表情で杉は眼をつむった。
その彼を見て武馬はたった今言ったことの必要さを感じた。思ってたことが一月早く来た訳だ。こうなれば杉の為に、杉に代わって言わなくてはなrない。
唇を噛んで武馬は一歩出た。
それを圧えるように、
「お話しは外でみんな聞きました」
杉の父は言った。その声に怒気はない。と言うよりむしろ沈痛な顔だ。
「僕の考えていたことをわかって頂けますか?」
武馬は駄目を押すように言った。
「見知らぬあなたにまで御心配をかけて申し訳もない」
「僕があやまられることはありません。それよりももし、杉君があの事故で、思い立った通り死んでしまったら ──」
杉の父は一蹴、その言葉をさえぎろうとするような表情を見せた。
本当の事故か、或いはそうでないか、誰よりも彼が一番知ってます。しか今ここでそんなことをただしたって何にもならんでしょう。それよりも、これを機会に、杉も、お父さんも考え直されるべきだと思います。そうしなければ彼が助かった意味は何処どこにもないじゃありませんか」
父は頷いた。武馬は杉をふり返って見た。杉はじいっと天井を見つめている。
「僕は、おせっかいに横からお二人の間に飛び出して来たような人間に見えるかも知れません。しかし、僕は彼と同じ世代の、同じ人生の期待にこれから生きようとしている人間として、余計なことかも知れないが彼をあのまま見ちゃいられなかったんです」
父は頷き、
「有りがとう」
低くうめくように杉は言った。
「彼が今言った、お父さんと彼との競争だとか誓いなんてことは僕には詳しくわからない。でもこれだけは考えて下さい。能力の上下ということではなく、杉とあなたとはたといおや子でも全く違う人間なんです。それを分って下さい。たといどんなに予想を裏切った方向に進んだにしても、彼が自分を納得なっとくさせ、誠心その道に進めば、それが彼自身の生き方じゃないでしょうか」
「いや、私はそれほど自分の息子の生き方について縛りつけたつもりはないのです」
父は問うように杉の顔を見た。杉は天井を見つめたまま、ゆっくりとのみこむように表情だけを動かす。
「いやいや、言い訳はよしましょう。私がどんなつもりでいたろうと、達也たつやが私に気がねしてそれまでに自分で自分をしめつけてしまったことは当然、父親の私の責任があるに違いない」
「そう思います」
武馬ははっきり言った。
「けど、お父さんだけじゃない。僕に言わせりゃ結局一番責任があるのは杉です。だってこれはあくまでも彼自身の問題じゃありませんか。彼自身の意志の問題です。小さな子供ではあるましし、誰に気がねせず、自分の生き方は自分で選んでいくべきなんだ」
杉は天井を向いたまま、黙って眼で頷いた。
「これは劣等生の言いのがれに聞こえるかも知れませんが、成績の一番ということは、僕らの本質的な生き方の指標には、決してなりはしないと思います。一番になるにこしたことはありません。しかし、それはそれほど大きな青春の代償を払ってまでならないでもいいものじゃないでしょうか」
杉の父はゆっくり頷いた。
2022/05/31
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