~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『 球形の荒野 (上) 』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 文 芸 春 秋
 
 
 
 
 
球形の荒野 (01-02)
金堂を見終わって、節子は出口に歩いた。
彼女は、守札や絵葉書などを売る受付の小さな建物に寄った。ここで東京への土産みやげに何かえらび、従妹いとこ久美子くみこに持って行ってやりたかった。それは久美子の父への思い出のつもりだった。そこには絵葉書に混じって、壁かけになっている小さな焼物が置いてある。「唐招提寺」の四つの文字が配列してあるのが記念になりそうだった。節子はその皿を求めた。
老人が品物を包んでいる間に、節子は、ふと、そこに置かれている芳名帳が眼についた。和紙をとじた厚いものである。ちょうど開いたままだったので、なにげなく眺めていると、雑誌などで見る有名な美術評論家や、大学教授などの署名があった。やはり一般の観光客が来ないかわりにこのような人たちが寄るものとみえる。
老人は皿を包むの手間どっていた。節子は、芳名帳の一枚うしろをめくった。一めんに名前が記帳してある。さまざまな名前が、文字のくせを現していた。近ごろは、筆の字となると誰も書きづらいらしく、達筆なものもあるが、ひどく下手なのも多かった。
が、その中の一つの名前に、彼女の視線がとまった。「田中孝一」というのである。むろん節子の知った名前ではない。彼女がそれに眼をとどめたのは、未知の人の名前ながら、どこかで、その文字にったような気がしたからである。どこかで ──。
「ありがとうございました」
老人はやっと包みをひもでくくって差し出したが、節子が芳名帳の名前に見入っているので、
「奥さまも、ひとつ御記帳願えませんか」
とすすめた。
折角、この寺に来たことだし、節子も筆を借りる気になった。それから自分の名前を書きおわってからだったが、もう一度、前の紙をった。どうも気になるのである。この名前にではなく、その文字のくせにであっる。
なんとなく、死んだ叔父の筆蹟ひっせきに似ているのであっる。
叔父は、若い時から文字が上手な方だった。いま、この筆の字を見て思い出したのだが、そのやや右肩上がりの癖といい、「一」と横に引っぱった筆のとまり具合といい、叔父の筆蹟によく似ていた。つまり叔父の名前の顕一郎の「一」と、この田中孝一の「一」に筆づかいが、共通しているのである。叔父は若い時から、北宋ほくそうの書家米芾べいふつを手本にして習っていた。
節子はこの寺に来て、死んだ叔父のことをあまりに考えていたので、そんな錯覚を起こしたのかと思った。世の中には、似たような文字を書く人はずいぶん多いが、偶然叔父の好きなこの寺に来て、叔父によく似た文字を発見したのは、やはり彼女にはうれしかった。何処どこの誰だかむろん住所が記載していないので、節子には分かりようがなかった。
それでも彼女は、懐かしくなって、念のために老人に訊いてみた。
「この方は、やはり遠くからおいでになった方ですか?」
老人は興味なさそうに田中孝一の名前をのぞいてみた。
「さあ、知りまへんな」
と答えた。
「このページに書かれた名前の方は、いつごろここにおいでになったんでしょう?」
節子は、さらに訊いた。
「そうでんな」
老人は眼をしょぼしょぼさせて署名の順序を見ていたが、
「十日ぐらい前のように思いますな」
十日前というと、この老人は、記帳の参詣人を覚えているかもしれない。ここには観光客もあまり来ず、忙しくない筈である。
しかし、そのことを老人にただすと、
「いえ、けっこうお詣りがありますよってに、いちいち、どないな方は覚えてしまへん」
と、ぼそりと答えた。
節子は、諦めて、そこを離れた。もとの、来た道を帰るのだったが、なぜか今日は、叔父のことが想われてならなかった。古い寺の美しさに眼をあけてくれたのが叔父だっただけに、この寺に来てそれは当然だったが、亡くなった人のことを考えるのは、あるいは秋の寺をたせいかも知れなかった。
節子は、夫と、今夜、奈良の宿で落ち合う約束だった。京都で学会をすませた夫は、八時には奈良に入ると言っていた。雲の加減で遅いようだが、二時をまわったなかりだった。
節子は、また西ノ京の駅に戻った。奈良へすぐに帰るのだが、なぜかその時になって、心がはずまなかった。最初の予定はいろいろと組んである。たとえば秋篠寺あきしのでらから法華寺ほっけじに廻る佐保路さほじのあたりを歩いてみたかった。が、急に気が乗らなくなったのである。
節子は、田中孝一という人のことがまだ気にかかっていた。勿論、知らない人である。が、その人の書き残した文字が、妙に頭の中から消えなかった。
節子がホームに佇んでいると、上りの電車が来た。当然、最初の予定ではこれに乗る筈だったが、心のためらいは、ついその電車を見送った。
この時になって、節子は決心した。彼女はホームを変えて、折から来た下りの電車に乗った。
電車の窓から見る一面の平野は秋の風景を見せていた。丘陵を背景にして、法起寺ほっきじのくすんだ三重塔が見えたが、やがて法隆寺の五重塔が、鮮やかな色で、松林の中に立ち現われてきた。
節子は、橿原かしはら神宮前駅で下りた。
2022/08/10
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