~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『 球形の荒野 (上) 』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 文 芸 春 秋
 
 
 
 
 
球形の荒野 (01-03)
タクシーの走っている道は寂しかった。
両側が広い平野で、農家が部落をつくって点在しているだけだった。岡寺おかでらをすぎて、橘寺たちばなでらの白い塀が正面に見えた。節子は、運転手に待って貰うように言い、寺の高い石段を上った。
橘寺は、小さな寺である。彼女はこの寺の名が好きだ。節子は、本堂から横の受付の窓口に行った。そこでも守札や絵葉書を売っていた。
節子はそこで絵葉書を買い、そのへんを見まわしたが、芳名帳はなかった。
「恐れ入りますが」
彼女は思いきって言った。
「芳名帳がございましたら、記名させていただきたいのですけれど」
法帖ほうじょうを手習いしていた受付の坊さんは、節子を見上げたが、自分の机のわきから、黙って芳名帳を差し出した。
節子は、急いで最後の部分から繰った。しかし、「田中幸一」の名前は見当らなかった。彼女は自分の名前を書き、念のため前の紙を繰った。が、やはり何度見ても、「田中孝一」の名前はなかった。
「どうも」
節子は芳名帳を返した。
石段を下りて、待たせてあるタクシーに乗った。
「どちらへ?」
運転手は、振り返って聞いた。
安居院あんごいんに行って下さいな」
運転手は、車をまた走らせた。道は、やはり稲を刈った田圃たんぼの中である。先ほど橘寺から眺めた森が近づいて来た。節子は、安居院と書かれた門の前で、車を下りた。ここでも運転手に待ってくれるように念を押した。
安居院の門を入ると、金堂はその横にあった。礎石らしい大きな石が、庭にある。
この金堂の本尊は、止利とり仏師ぶっし作といわれる飛鳥大仏である。美術史といったたぐいの写真でさんざんお目にかかっているが、今の節子は、「古拙の笑い」をうかべた本尊を急いで拝む気はなかった。ここでも、先ず、芳名帳を見せてもらいたかったのである。
寺の受付には、誰も居なかった。そういえば、ここは奈良の諸寺から見ると、ひどくわびしい。節子がそこに佇んでいるのを見たのか、庫裏くりの方から、五十くらいの坊さんが、白い着物を着て出て来た。
「拝観でっか?」
坊さんが首をのばして言った。
いつもの節子だったら、本尊を拝観するところだったが今は別のことが気になっている。彼女は守札と絵葉書だけを買った。ここでは要求するんじゃでもなく、芳名帳はその窓口に置いてあった。
「あの」
節子は、坊さんに言った。
「東京からわざわざ来たものですから、芳名帳に名前をつけさしていただきたいのですが」
坊さんは、節子の顔に笑いかけて、
「さあ、どうぞ、どうぞ」
とすすめた。自分ですずりの墨をすってくれるのである。
節子は、芳名帳を開いた。和尚おしょうが墨をすっている間に見たのだが、最後の一枚には三人の名前しかなかなかった。前の一枚をはぐった。そこにも縁のない他人の名前が並んでいた。しかしもう一枚めくった時、思わず声が出そうになった。
そこには、見覚えの「田中孝一」があったのである。字体も、唐招提寺で見た時と、判で押したように同じであった。墨をすってくれた坊さんに、節子は聞いた。
「ちょっと伺いますが」
田中孝一の名前に指を当てた。
「この方は、いつこちらに御参詣になったんでございましょう?」
自分の知った人を訊くような調子だった。
坊さんは、かがみ込んで名前を見ていたが、
「さあ」
と首を傾け、
「分かりまへんなア。この寺もお詣りの方が多いよってに」
と、考えながら言った。
「いつのことでっしゃろな。そのへんについているのやったら、一週間か十日前せっしゃろな」
節子はそれを聞いて坊さんの顔を見つめた。
「和尚さんは、この方を覚えていらっしゃいませんかしら?」
坊さんは、また首を傾けた。
「どんなお方やったか、覚えてまへんなア。そら、なんぞあんさんのお知り合いのお方でっか?」
「そうなんです」
と彼女は思わず言ってしまった。
「これを拝見して、長らく会わなかった方を思い出したんです。それでお訊ねするんですけれども」
「さあ」
坊さんは顔をしかめて考えていた。
「どうも、わての記憶にはおまへんな。女房もおりますさかい、ちょっと聞いてあげましょう」
親切な住職だった。わざわざ細君のところまで問い合わせに行ってくれた。
戻って来た時は、その妻と一緒だった。話を聞いたとみえ、その主婦は節子に会釈えしゃくして芳名帳の田中孝一の名前を見た。
「へえ、わてにも、よう分かりまへんなア」
坊さんの妻も、亭主と同じように首を傾けていた。
節子は、もう一度、芳名帳の文字に眼を戻した。いかにも叔父の文字によく似ていた。
節子は、叔父から貰った書を何枚か持っている。子供の時だったので、あまりむしかしい漢詩ではなかった。叔父は趣味で、赤い毛氈など敷いて唐紙とうしをのべ、叔母に墨をすらせて、大きな筆で漢字を書いたものだ。今ここに叔父の書を持っていたら、「田中孝一」の筆蹟と較べてみたいくらいだった。
2022/08/10
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