~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『 球形の荒野 (上) 』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 文 芸 春 秋
 
 
 
 
 
球形の荒野 (03-02)
陽射しが真上に来て、庭の木の影が地面に狭くなった頃に久美子は当の青年を連れて来た。
節子は、新聞記者という職業からその青年に一つの型を想像していたが、初対面の添田は、その予想を裏切っていた。どこから見ても、普通の平凡な会社員タイプだった。
多少、それと思わせるのは、頭髪がもじゃもじゃと縮れている程度だったが、青年の見せる態度は律義りちぎで、口数も少なかった。
彼は名詞を出したが、節子はそれで彼の名前が「添田彰一しょういち」だと知った。勤めている社は一流新聞社だった。ている洋服の好みも地味だし、色も柄もおとなしかった。背が高く、すこし頬骨が出ているのが印象的だった。
予告の通り、昼飯を済まして来たというので、節子は女中に言いつけて、コーヒーや果物などを出した。それを静かに受けている添田彰一の様子には、普通言われている新聞記者らしい傍若無人さはなかった。小心な若いサラーリーマンという印象である。
久美子は、いつもよりは節子に遠慮そうにしていた。しかし、別にそれは臆しているという様子でもなく。適当に青年と二人だけで話し合ってもいた。節子が聴いていて、控え目だったが、いかにも明るい会話なのである。
昨夜、夫がつぶやいたことだが、近ごろの新聞記者はタネが無くて何にでも食いつく、といった態度は、この青年記者の様子からは感じられなかった。それほど添田彰一は新聞社の人間らしくなかった。
三人の間に、時候の話や短い世間話があった末、久美子が今日の訪問の目的を披露ひろうに及んだ。無論、添田彰一から言い出すべき話なのだが、久美子が恰好であった。
「お姉さま。添田さんね、お電話で申しあげたように、お姉さまの奈良でのお話に、とても興味があるとおしゃるんです。もう一度話して頂けません?」
「まあ」
節子は、添田彰一に微笑を見せた。
「妙なことがお耳に入りましたのね?」
節子は、久美子の方をちらりと見た。多少、彼女のおしゃべりをたしなめる意味でもあった。久美子がくすりと笑ってうつむいた。
「いや、ぼくは、とても興味を持ったんです」
添田彰一は真面目な顔を節子に向けた。
節子は、前から気づいていたのだが、彼の眼は少し大きかった。それも不快な感じでなく、人懐ひとなつこいものが目許めもとにあった。
「久美子さんのお父さんのことは、大体ぼくも聴きました」
添田彰一は、やはり控え目に言った。
「無論、公報もあったことだし、戦時中、外国で亡くなられたことは確実だと思います。が、奥さんが奈良で、久美子さんのお父さんの筆蹟に似たのをご覧になった話は、何かぼくに妙な気持ちを起させたんです」
「妙な気持とおっしゃいますと?」
節子は、おだやかに訊き返した。
「そう深い理由はありません」
添田彰一は、やはりおとなしい声で答えた。
「ただ、その似た筆蹟を久美子さんのお父さんが好きだった土地で発見なさったことに、妙にかれたんです。ぼくは、その話を奥さんからもっと詳しく伺いたくなりました
2022/08/18
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