~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『 球形の荒野 (上) 』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 文 芸 春 秋
 
 
 
 
 
球形の荒野 (03-05)
添田彰一が、外務省欧亜局の××課長村尾芳生に面会を申し込んだのは、その翌日であった。始め電話で言ったのだが、秘書のような男が出て、何の用件か、と訊き返した。こちらは直接お目にかかってお話を訊きたいから、時間の都合を訊かせてくれと言った。
「課長は大へん忙しいのです。大体用件を聽かして下さい。課長にそう伝えますから。その上でこちらの時間をお報せしたいと思います」
添田彰一は、じかに課長と話したい、と言った。これを強硬に言ったので、当人の声に代わった。今までのと違って、やはり重い中年の声だった。
「わたしが村尾です」
先方では事務的に訊いた。
「ご用件は?」
添田彰一は、社名と自分の名前を改めて言って、
「取材上のことで課長さんにお目に掛かりたいのですが」
「難しい外交政策のことなどは、ぼくには分かりませんよ。そりゃもと上の方で訊いて下さい」
「いいえ、そういう用件ではありません」
添田は言った。
「ではどういうことですか?」
電話で訊き返す村尾課長の声は、あまり愛想のいいものではなかった。丁寧だがどこか突っ放したような冷たさがあった。官僚に共通な冷たい調子があるのだ。
「実はわたしの方で」
と添田は言った。
「“戦時外交官物語”といったものを取材して書きたいと思っています。村尾さんは確か、戦時中には中立国に駐在していらしたですね」
「そうです」
「大へん好都合と思います。是非お話を伺わせて頂きたいんですが」
添田は頼んだ。
「そうですな」
電話の向うで、村尾課長は考えているようだった。その声の調子は今までの冷たさと変わって、満更まんざら脈がなさそうでもなかった。
「大した話は出来ないかも分かりませんがね」
と課長は遂に言った。
「それなら、今日の三時があいております」
その三時という時刻を告げるのに少し暇がかかった。これは手帳でも見てスケジュールを調べたものらしい。
「十分ぐらいで勘弁して下さい」
「結構です。有難うございました」
添田彰一は、礼を言って電話を切った。
── その約束の時間尾後三時、添田彰一は、霞ヶ関の外務省の玄関を入った。
欧亜局は四階だというので、エレベーターに乗った。
エレベーターの中でもそうだったが、四階に昇って、廊下を歩くと、案外客が多かった。いずれ何かの陳情団であろう。十二、三人もの組が何組もうろついている。廊下は、往来と同じだった。
受付嬢は、彼を応接室に通した。
添田は、そこで待たされた。窓際に歩いて外を見おろすと、秋の陽射しが下の広い道路に当たっている。車の通りが激しい。街路樹のマロニエの葉が美しかった。

2022/08/18
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