~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『 球形の荒野 (上) 』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 文 芸 春 秋
 
 
 
 
 
球形の荒野 (04-03)
添田彰一は、それから各方面を駈けずり廻って、昭和十九年の傍中立国公使館員の現在の状態を調査した。その結果、寺島公使は死亡、野上一等書記官死亡、門田書記生死亡であって、公使館付武官伊東中佐は現在どこに居るか判らなかった。
寺島公使と野上書記官との死亡は最初から判っていたが、調べの途中で、さらに門田書記生の病死が判明したのである。
「門田君かね。あの男は死んだよ。たしか、終戦後引揚げて間もなく、郷里の佐賀市で亡くなったはずだ」
添田の質問に外務省の或る役人は答えた。
添田は訊ねたい人を、これで一人失ったわけである。残っているのは、公使館付武官伊東忠介中佐だけっである。
伊東中佐についても、消息不明で、その生死も定かではない。当時の軍人関係のその後が最も判りにくいのでである。
添田は、この調べで一通りの履歴を洗ったのだが、伊東中佐は大阪府布施氏の出身であった。添田は、新聞社の大阪本社に連絡を取って、布施市役所で、伊東中佐のその後の状態を調べてもらった。ところが、戸籍面では死亡の事実はないし、現在どこに居住して居るかは不明であった。
添田はがっかりした。折角、頼みに思った一人は死亡し、一人は行方不明である。外務省の村尾××課長は、これ以上、野上顕一郎の死亡について語るのを好まないようだし、また、添田も、彼を再び訊ねる気はしなかった。意地ずくでも村尾氏を通さずに他から調べ上げてゆきたかった。
添田は、数日を憂鬱な気持のうちに過ごした。野上顕一郎についての手掛かりは、村尾芳生氏を壁として、ここでばったり跡絶えたのであった。
最後の望みは、行方不明の伊東武官である。旧軍人関係から調べると、或いは判るかも知れないと思い、随分その方面に詳しい記者に手を廻してもらったが、結局判らなかった。誰も、一中佐の消息など知らないようだった。
添田が何か頻りと調べている様子を見て、
「一体、何をやってるんだね?」
と訊いた友達がいた。
親友だったので、添田は、自分の調査のことを話した。尤も、野上顕一郎のことには触れないで、当時の戦時外交の在り方について材料を集めるために、某国駐在公使館の事情を知りたいのだと理由を言った。
その友達は、方法を思案してくれた。
「いいことがあるよ」
と、彼は教えてくれた。
「その頃の在留日本人に当たってみたら、どうだろう? 君は公使館の職員ばかりを考えているが、一般の在留民を探す方法だってあるよ」
しかし、在留民が野上顕一郎の死の真相を知る筈がなかった。公使館という政府の出先機関の中では、僅かな在留民は締め出されていた筈である。
「もっと公使館に接触していた人間がいるといいんだがな」
「そうだね、そういう人が居るといい」
友人は、また教えてくれた。
「それなら一ついい考えがある」
「何だね?」
「新聞記者だ。こいつは公使館員ではないが、殆ど公使館に出入りして情報をとっていたに違いない。だから内情には通じているはずだよ」
特派員のことであった。だが、昭和十九年頃、新聞社は果たしてヨーロッパに特派員を置いていたであろうか」
「居るよ。ちょっと有名な男がね」
と、友人は自分の思いつきを話した。
「誰だい?」
添田は考えるような眼になった。
たきさんだよ。滝良精りょうせい氏さ」
「滝良精 ──」
添田はあきれた。
滝氏なら、添田の勤めている新聞社の元編集長である。なるほど、そも友人が言った通り。滝氏は、大戦中、或る国の特派員であり、あとでっそこを脱出して、スイスに滞在していた。
滝氏は帰国すると、外報部長から編集局長となり、論説委員となったが、五年前に退社して、現在、世界文化交流連盟の常任理事をしておる。
「たしかに、滝氏がよさそうだったな」
添田は、かえって友人に教えられた恰好だった。あまり近いので、すぐには気が付かなかったのである。
「どうだい、滝氏なら話してくれるだろう。社では君の先輩だし、現在、文化団体の理事という気楽な立場にあるから、自由に話してくれるよ」
「よかった」
添田は言った。
「早速、滝氏に会ってみよう」
添田彰一は、滝良精氏を直接には知らなかった。社の先輩として、名前は充分過ぎるくらいに聞いていたが、面識は何もないのである。
2022/08/23
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