~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『 球形の荒野 (上) 』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 文 芸 春 秋
 
 
 
 
 
球形の荒野 (07-04)
添田は社に帰ると、社会部の人に会った。
「外人の泊まるホテルを廻るというのかい?」
友人は何が起こったかというような顔をした。
「そうだな、それだと都内には十二、三はあるだろうな。何を調べるのかい」
彼は訊いた。
「宿泊人の名前を調べたいんだ。十月の十日から十四、五日の間を見たいんだがね」
友人は考えるような眼つきをした。
「めんどうだな、それは。宿帳なぞ、ちょっと新聞社の者でも見せてくれるかどうかわからないよ。向うも客商売だから、いわば商売上の秘密だろうからね」
「ぜひ、見たいんだがね」
添田は言った。
「なんとか方法はないか」
「そうだね、君ひとりが一軒一軒頼み込んでみても無理だろうな。ちゃんと、どこかから筋を通さないと見せてくれないだろうね」
「その筋というのは?」
「たとえば警察だ。これは手っとり早い」
添田は顔を曇らせた。
「警察はちょっと困るんだ。そのほか何か案はないかね」
「そうだな」
友人は一緒に考えてくれた。
「ぼくの考えでは」
添田は言った。
「ホテルには組合があるだろう。その組合の事務所のだれかに口添えしてもらえたら、うまくいくのじゃないかな」
「そうだね、それはいい考えだ」
友人は賛成した。
「君は、そのホテル組合の幹部の誰かを知っているのかね?」
「知らない」
添田は首を振った。
「それだと外報部のA君に頼んだ方がいいかも知れない。あいつは毛唐の偉い奴が来ると始終、話を聞きに行くのが専門だからね。自然とホテルの方にも顔は広いかも知れない」
添田は外報部のAという人を知らなかった。友人はすぐに電話をかけてくれた。
「とにかく会って話を聞くといってるよ」
「ありがとう」
外報部は四階だった。添田は上って行った。Aはデスクで待っていた。
「話は、いま、電話で聞きましたよ」
と外人のような顔をした、背の高いAは言った。
「泊まった人の名前は判っているのでしょうね?」
「それが判らないのです。外国から日本に来ている日本人の名前ですが」
「名前が判らない?」
Aの方が愕いていた。
「名前が判らないのに、名簿で何を見つけるのですか?」
「それはぼくもちょっと返辞に困るのですが、大体、見ているうちに探し当てそうな気がするんです」
添田は自分でもあいまいな言い方に気拙い思いがした。当人は、おそらく本名を名乗っていない筈だ。その仮名を知る由もない。
「じゃあ、とにかくKホテルの支配人に頼んでおきます」
Aは名刺に紹介文を書いてくれた。
「どうも済みませんね」
添田はそれを握って外報部を出た。
2022/09/06
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