~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『 球形の荒野 (上) 』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 文 芸 春 秋
 
 
 
 
 
球形の荒野 (12-05)
添田は社に引き返したが、すぐに仕事に打ち込めなかった。彼は二、三の短い記事を書いただけだった。考えがともすると、京都へ行っている久美子へ向った。
「添田君」
部長が呼んだ。
「君、これから羽田へ行ってくれないか、今、二時半だ」
「はあ、何でしょうか?」
添田は、手がいている自分を部長が見付けて用事をいいつけたのだと思った。
「四時前に国際線のSAS機が着く。それで、国際会議に出ていた山口代表が帰って来る。まあ、あまり土産話もないだろうが、一通り聞いて来てくれ給え」
「はあ、わかりました。写真班も連れて行きますか?」
部長は考えていたが、
「ああ、誰でもいいから連れて行ってくれ」
と軽く言った。
部長もあまり大事には考えていないのだ。こんな仕事を割り当てられた添田はクサった。
彼はすぐ写真班の若い男と一緒に、車で羽田に向った。
空港に着くと、SAS機の到着予定が一時間遅れることが分かった。
「しようがないな。お茶でも喫もうか」
添田は若いカメラマンを連れて国際線のロビーの売店に入った。
「空港も国際線となると、ちょっと気持が大きくなりますね」
カメラマンが言った。周囲は外人が多い。広い待合室は贅沢で国際的な旅愁が漂っていた。
添田は、若いカメラマンが何かと言いかけるのに、あまろ返辞をしなかった。彼は独りで考えたかったのだ。
── 久美子は、果たして手紙を呉れた謎の女性に逢えたであろうか。
カメラマンは退屈している。
「まだ後、一時間以上ありますよ」
「仕方がない。延着ならどうにもばらないよ」
添田の坐っていると所から、ガラス張りのドア越しにろびーの一部が見えた。この時、添田の眼は、一群の紳士の中に顔見知りの人物を捉えた。
外務省欧亜局の××課長、村尾芳生よしお氏だった。
村井氏は、外務省の他の役人と一緒に談笑していた。横顔は外人のように赤味を帯び、白い頭髪に手入れが届いていた。外務省の役人は、国際会議から帰って来る代表をやはり出迎えに来ているものとみえた。添田は、村尾氏に会った時の記憶を、その端正な顔に重ねた。
いまの村尾課長は、上品に談笑してる。アナウンスは、さらにSAS機の到着の遅れることを告げた。
2022/10/08
Next