~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『 球形の荒野 (上) 』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 文 芸 春 秋
 
 
 
 
 
球形の荒野 (12-06)
ようやく、遅れたSAS機が着いた。北欧の都市で開かれた国際会議に出席していた日本の代表が、タラップで手を振りながら降りた。
肥った白髪の男である。元大使をしていたが、その後、何となく不遇な道を歩いた人で、あまりぱっとしない国際会議には、その貫禄のせいでよく代表として出される。
外務省の役人の一団は、この先輩を迎えて挨拶していた。村尾芳生課長も代表の前でお辞儀をしている。
この交際会議がそれほど重要でなかったためか、これを迎えに出た局長連も、ただ儀礼的な表情である
添田は、代表から談話を取ったあと、村尾氏に会って見る気になった。前に、外務省に訪ねてて冷淡な扱いを受けたが、ここでもう一度話しかけてみて、彼から反応を引き出す気になった。村尾課長は、野上顕一郎の死亡の真相を知っている一人である。
添田は、野上顕一郎の死に自分なりの考えがかなり固まってきていた。だから、村尾氏に訊ねる言葉を頭の中で考えていた。先方は、無論、正直に話すはずはない。
こうなると、こっちが言う言葉に村尾課長がどう反応を示すかである。言わば、対手の心理を試験するみたいだった。一つの言葉を出して、対手から連想語や反意語を引き出す。向うではこちらの知りたいこととは逆な言葉を言うに違いないから、これを重ねてゆき、さらに対手が返辞をする時の表情の変化を気を付けて見る。こうすれば、大体、彼の正直な答えが得られそうな気がする。
外務省に連中が代表と談笑しているのを眺めながら、添田はその質問の作戦を考えていた。
挨拶は終わった。
重要でない代表を迎える新聞社側も冷淡だった。添田の社の他には四、五社ぐらいしか来ていない。が、とのかく、共同記者会見ということになった。場所は、空港のロビーにある特別室だった。
添田は、代表の話など聞きたくはなかった。それよりも、村尾氏に早く会いたい。局長連は、代表と記者団との会見が終わるまで、待合室のソファにかたまって待っている。
代表の話は、記事にしなくてもいいような意味の無いものだった。本人はいい機嫌になって会議の経過などを話している。だが、それは国際情勢に何の影響もない話だった。
添田はいい加減に聞き流しながら、メモを取っていた。どうせ長く書いても、新聞に出る時は五、六行で片付けられるに違いない。
しかし、代表の方は熱心だった。出席した各国の代表達の下馬評までやっている。十分間と決めていたのに、その時間を延ばしたのは代表の方だった。自分では国際的な華やかな舞台に立っている「時の人」くらいに思っているらしい。曾てはそういうことをやった人だから、その夢をまだ持っているのだ。
よせばいいのに、他の社の記者が質問までやっている。
添田は途中から脱けて、村尾課長のところへ行ってみたかった。だが、この代表がこの家から出るまで、村尾課長も他の局長連と一緒に、ロビーに待っている筈だった。それに、ひとりで脱けて村尾課長の所へ行けば、ほかの局長連の手前もあって目立つことだし、警戒されるに違いなかった。添田は、退屈な代表の談話を辛抱した。
2022/10/09
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