~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『 球形の荒野 (上) 』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 文 芸 春 秋
 
 
 
 
 
球形の荒野 (12-07)
やっと話が終わった。一同は特別室を出た。
代表は、局長たちの待っている所に戻る。新聞記者の方は、用事が終わったので、勝手に階下の玄関の方へ降りた。
添田はカメラマンに、少し用事が残っているから、と言って、先に帰らせた。
「社の車は、君が使っていいよ。ぼくはタクシーでも拾って帰るからね」
代表は出迎えの一団に囲まれながら、穏やかな雰囲気を作って広い階段を降りていた。
添田の眼は、村尾課長の姿を追った。
だが、その姿が見えないのである。
一行は十二、三人ぐらいだ。局長の他にも、それにお供で来たような事務官もついている。その中に、特徴のある村尾の顔が見えない。
何か用事で、村尾課長だけがどこかに残っていて、一行の後を追うのかと気を付けて見ていたが、それもなかった。この時は、もうすでに、一行は玄関に降りきって、置いてある車が正面に近付くのを待っている。
添田は、事務官の一人に訊いた。
「村尾課長はいらっしゃいませんか?」
若い事務官が添田を新聞記者と知って、捜してくれた。
「おかしいね。居ませんね」
「さっきはいらしたように思いますが」
「そうなんです。どこへ行かれたんだろう?」
その事務官は、他の事務官にも訊いてくれた。しかし、訊かれた当人も首を廻していたが、わからないらしかった。
「おかしいですね」
と事務官の方で不思議がっている。
「確かに、さっきまでいらしたんですがね」
二、三人の同僚に訊いてくれたが、誰も知っていなかった。
そのうち、一行は何台かの車にぞろぞろ乗り込んだ。
すると、その時になって、ようやくその返事が貰えた。一人だけ知っている者が居て、
「村尾課長は、私用で先に帰られました」
と教えた。
添田は、しまったと思った。代表のくだらない話を取るのを、もう少し早く切り上げるのだった。恰度ちょうど、いい機会だったのに、惜しいことをした。
村尾課長は私用があると言うが、途中で抜けて帰ったものと思っていた。
しかし、添田がこの考えを変えたのは、国際線のロボーから階下の国内線の待合室に降りた時だった。恰度、大阪行きの旅客気が出るらしく、場内でアナウンスをしていた。
待っていた客がって、ゲートの方へ集まっている。改札が始まり、番号順にフィールドに入っていた。
添田が居る所と、その搭乗客の群れとの間は、かなりの距離がある。添田がもしやと思ったのは、根拠のないことだが、その人の群を見てからの直感だった。
添田はその方へ近付いた。
もうこの時は、先頭の客は、飛行機の停まっている方へ順々に歩いていた。尤も、フィールドに出るまでは、屈折した廊下を通る。添田が、自分の直感が当たり過ぎて、あっと思ったのは、その客の中に、紛れもなく村尾課長の姿が歩いていたからだった。
村尾課長は、飛行機の方へひとりで向っていた。
添田が見ているうちに、その姿は遠くなり、フィールドに射し込んでいる照明灯の中に見分けがつかなくなった。
私用があって中座したと思った村尾氏は、実は大阪行きの飛行機に乗っているのだ。気軽な用事で先に帰ったと考えていたのに、これはちょっと意外だった。尤も、東京から大阪に飛行機で行っても、それほど大袈裟な事ではないかも知れない。だが、一緒に居た事務次官連に訊いてみても、村尾氏の行動を誰も知らなかったのを思い合わせると、課長の大阪行きがかなり奇妙な行動に添田は映った。
2022/10/09
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