~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅷ』 ~ ~

 
== 『 球形の荒野 (上) 』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 文 芸 春 秋
 
 
 
 
 
球形の荒野 (13-05)
見物人は、先ほどの外人の団体だった。これは広い縁側に佇んで荷をを見ている。カメラを向けている者もいた。互いに小さくささやき合っている者もいる。此処でも、ガイドが英仏語で説明していた。
久美子は遠慮して、その外人の群れから離れて立っていた。石庭は、海に突き出ているようにしっかりしたものである。
陽が単純な石組みの上に、細かな襞の影をつくっていた。
外国人たちは熱心だった。その中で、勾欄こうらんのすぐ近くまで来て、板の上に腰を下ろしている一組の外人夫妻が居た。落ち着いて、しっかりと日本の庭を鑑賞しようという様子が、少しも動かない夫婦の姿に現れていた。
女は、黄色な髪が色糸でも束ねて置いたように美しい。四十七、八ぐらいの年配らしいが、端正な顔をしている。ほかの婦人たちが原色に近いほど派手なのに、こんお婦人は、沈んだ色を配色にしていた。
夫らしい男は、頭が真白だった。陽の当たった白い砂が眩しいのか、黒い眼鏡を掛けていた。彼は膝を揃えて立って、両手をその前に組み合わせていた。外国人といっても、悉が鼻の高いきつい立体の顔ではなかった。東洋的な顔も三、四人は居た。現にこの黒い眼鏡を掛ている外国人も、そうだった。皮膚の色も、それほど白いとは思えない。
久美子が来る前から、この人たちは見物しているのだが、まだ此処に腰を据えているほど、彼らは鑑賞に熱心だったのだ。彼らは、東洋の美術を、この機会に、覚えようとしてるようだった。久美子は、足音を立てないで元の方へ引き返した。
やはり手紙の中のことが気にかかる。こうしている間にも、対手が来ているような気がするのだった。
暗い方丈を出ると、また外の明るさだった。山門は真正面だったので、人影の有無はすぐ分かる。誰も居なかった。
久美子は歩いた。建物の端から急に人が出て来たが、これは男連れの三人だった。久美子と顔を合したが、先方では僅かに眼を投げただけで、松林の方へ通り過ぎた。
山本千代子はやはり来なかった。時計は二時近くになっていた。
手紙は嘘だったのか。それとも、彼女の方に想わぬ故障が起こったのか。これ以上待っても無駄だ、と知った。それでもまだ心が残って、急には帰り道の方へ急げなかった。
ふと見ると、方丈の入口に外人二人が立って、こちたを眺めていた。しかし、その位置では山門を見物しているらしい。黒眼鏡が見えたので、先ほど庭を熱心に凝視していた夫婦だと分かった。
久美子は、正因庵の方へ降りかけた。こうして歩いている間にも、手紙の女性が急いで向うから登って来るような気がするのだ。
人影が向うに見えた。男だった。その辺を散歩しているような恰好だったが、樹の隙間に、見えた服装で、久美子は、それが鈴木警部補だと知った。やはり警部補はここに来ていたのだ。陰からこっそり久美子を見戍みまもっていたのである。いや、久美子が出会う対手を、警部補は張り込んで待っていたのだ。
警部補は久美子との約束を破た。出る時、まだ宿の丹前を着ていてこちらを安心させたのは、彼の計算だったのか。
この時、久美子の傍を、外人たちを乗せた三台のハイヤーが風を起こして通り過ぎた。
2022/10/14
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