~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『 球形の荒野 (下) 』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 文 芸 春 秋
 
 
 
 
 
球形の荒野 (18-10)
添田は答えを濁した。
やはり、偽名は不可能ではないというのだ。
ヴァンネード氏とエレーヌ夫人。 ──
しかし、添田は思いついて、日仏協会に関係深い知人に訊ねた。
「ヴァンネード夫妻だって?」
その知人も考えてくれた。
「ぼくの聞かない名前だな」
「日本に来るフランス人は、大抵、協会に連絡があるのだろう?」
「そりゃ、その場合が多い」
その友は反問した。
「何をする人かね?」
「貿易商というのだ」
「仕事で来たのか?」
「いや日本に観光に来たらしい。もつとも 、フランス人と言っても、亭主の方はスペイン系かイタリー系らしい。年齢も五十五歳というのだがね。ちょうど日本人を見るようだというのだ」
「訊いてみてあげよう」
友人は約束してくれた。
ここで、添田は自分の論理を組み立ててみた。しかし、一連の奇妙な出来事が、その論理とどう関連するかは未だ道筋が立っていなかった。
添田は、外務省の村尾課長宅と滝良精宅に手を廻さねばならなかった
滝良精氏は京都を引き揚げて、東京に帰っている筈だ。しかし、自宅に電話した時、家人は主人の留守を告げた。行先も一切わからないというのだ。
村尾課長宅に電話しても、
「唯今、旅行中でございます」
と女中らしい女の声が答えた。
「行先はまだ連絡がございません。お帰りになる時もわかっていません」
念のために、夫人を出してくれ。というと、それも留守だというのだ。この電話は三回かけて、三回とも同じことを宣言された。
友人の返辞もあった。
「こちらに居るフランス人たちに訊いたみたがね。ヴァンネード夫妻というのは、誰も知らないそうだ。何だか、インチキな不慮外人じゃないかね」
滝良精氏もどこかに行ったままだ。村尾芳生は、多分偽名で京都の病院に居るのであろう。
添田には、そのうち何かが起こりそうな予感がする。彼は今になって、以前に村尾課長が冷たく言い放った言葉を思い出した。
「そのことだったら、ウィンストン・チャーチル訊くんだね」
まさに冗談ではなかった!
2022/11/16
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