~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『 球形の荒野 (下) 』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 文 芸 春 秋
 
 
 
 
 
球形の荒野 (19-01)
自動車くりまは白い埃道ほこりみちを走っていた。刈入れの済んだ田圃たんぼが広々と展がっている。道の傍に澄んだ川があった。
車は博多はかたのハイヤーで、すでに二十キロ以上走っていた。
客は六十ばかりの、背の高い男だった。近ごろ珍しく、きちんと鳥打帽子を被っていた。
客は窓外の景色を眺めている。山の間に松林が見え、人家の屋根がかたまって光ってきた。
「だんな、津屋崎つたざきはどちらで?」
運転手が背中から訊いた。
「もう、津屋崎かね?」
と訊き返したところをみると、ここは初めてのようだった。
「すぐ、そこが町の入口ですけん」
「寺だかね。福隆寺ふくりゅうじというのだ。訊いてくれないか」
運転手は後ろ向きのままうなずいた。
道には樹の影が長く伸びていた。陽はかなり西に傾いている。
「だんなは東京からおいでなはったんですか?」
「うむ、まあ、そうだ」
「こちらは初めてのようですな?」
「初めてだ」
客はどの質問にも短く答えた。
車は田圃が切れて街並みの中に入った。両側に古い家並みがつづく。
運転手は米の配給所の前で車を停めると、窓から首を出して、家に中に声をかけた。
「ちょっと、隆福寺ちゅうのは、どっちに行きます?」
俵の米をあけていた男が手を止めて、道順を大きな声で教えた。
車は走り出す。かなり大きな町だった。
「君、線香と花を買いたいんだがね。そういう店があったら停めてくれ」
運転手は車を客の希望通りの店に着けた。
男は一つの店から福蝋燭ろうそくと線香を買い、別な店から花をもとめた。洋服がぴったり身に合う。年寄だが、服装は垢抜けていた。
車は町の中から折れて、山の方角へ坂道を上った。家の切れた所が寺の石段だった。
「ここですばい」
運転手は降りてドアを開けた。
客は花を抱えて、運転手に待つように言ってから、高い石段を上った。両脇は松、杉の森だった。山門が石段の上に屋根を見せていた。
男はゆっくりと上に脚を運んだ。子供が二、三人駆け足で上から降りて来た。
男は上りきったところで、ひと休みするように立ち停まって振り返った。町の屋根が下に沈んで、海が前方にせり上っていた。正面に大きな島がある。突堤に囲まれて発動機が集まっていた。
男は山門に掲げられた「福隆寺」という額を確かめてから、門の中に入った。
男は本堂の脇から庫裡の方へ歩いた。寺はかなり古く建物の朱塗がげていた。全体が黒いさびで仕上げられた感じだった。
枯れた落葉を掃除している若い僧を見つけて、男は声をかけ。住職に会いたいと申し込んだ。
待っている間、男は境内をそぞろ歩きしていた。高い銀杏いちょうの樹に葉はなく、梢だけが黄昏たそがれの近い空に伸びていた。
住職は長いひげを胸まで垂らしていた。白い着物で訪問客の立って居るところに歩いて来た。
和尚おしょうさんですか?」
客は帽子を取った。白髪の多い髪をきれいに分けている。顔つきも落ち着いていたし、この男の持っている姿が最初から淋しいものを感じさせた。
「この寺に、寺島康正さんの墓があるはずですが・・・」
「はい、寺島さんのお墓ならここにございますやな」
「わたしは、生前の寺島さんにお近づきを願っていた者です。今度、九州に参りましたので、思い立ってお墓参りに立ち寄りました。ご案内願えませんでしょうか」
「よかです」
住職は若い僧に命じて、水の入った手桶を持って来させた。
「そうですか。寺島さんのお知り合いの方ですか」
住職は先に歩きながら、すぐうしろに従う男に言いかけた。
「そげなお方は、近ごろ、めったにお見かけしませんやな。寺島さんもなんぼか喜びんさるでっしょ」
寺の境内を仕切って枝折戸しおりどがある。墓地は低い竹垣で仕切られていた。
かなり広い墓地で、住職は墓の間のこみちを進む。柿の木が一本、あかい葉を梢の先に付けて震わせていた。
海が墓の間から見えて来た。風が強いのは、この高い場所が玄界灘げんかいなだと正面だからであろう。雲の間に陽がかげり、海の上にうす陽が洩れていた。沖に光の筋が立っている。
2022/11/16
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