~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『 球形の荒野 (下) 』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 文 芸 春 秋
 
 
 
 
 
球形の荒野 (23-06)
「われわれは、郡山の伊東家の養子に問い合わせの手紙を出しましたが、養子からはよくわからないという返辞をもらいました」
と男は言葉を継いだ。
「ところが、伊東さんは殺される前に、田園調布と青山に行っていることがわかりました。われわれはこの二つの町に誰が住んでいるかと調べました。すると。田園調布には元R新聞社の編集局長だった滝良精氏の自宅があり、また青山南町には外務省欧亜局××課長村尾芳生氏の家があることがわかったのです。ここで第一段階の推定が得られました。村尾氏は当時の中立国公使館、あなたが書記生をしていた公使館の外交官補でした。滝良精氏も、かつては大戦中R新聞社特派員としてその中立国の首都に駐在していました。ところがですよ」
と男の声は熱が入った。
「この公使館には、陸軍駐在武官として伊東中佐がいましたから、われわれは、これは何かあると思ったのです。われわれ不思議がらせたのは、東京に出て来た伊東さんがわれわれに連絡を取る暇もなく、青山と田園調布とを走り廻ったことです。よほど、びっくりした事実を発見したに違いありませ。それは、まるで死んだ人に出遭ったようなあわて方でした」
相変わらず、門田源一郎の片腕は横の男に握られていた。話し手はもっぱら彼の頸絞めていた右側の人物だった。暗いのでよくわからないが、この男の重い声には、どこか壮士風の口調があった。
「いや、これはたとえ話じゃありません。というのは、伊東さんはこの世で幽霊に出遭ったのです。寺の芳名帳に残っていたのは、その幽霊の筆蹟だったのです・・・・ここまで言うと、あとはくどくどと説明する必要はないでしょう。われわれは、伊東さんが田園調布と青山を訪ねたことで、上京の目的、かつて駐在した国の公使館員に関連があるものと思いました。・・・そこには一等書記官で野上顕一郎という人が死亡しています。昭和十九年でした。この人はやまいを得てスイスの病院に入り、そこで亡くなったことになっています。それは、ちゃんと当時の新聞にも報道されています。だが、伊東さんがびっくりして上京し、滝良精さんや村尾課長の家を走り廻ったのは、もしかすると、この野上一等書記官の生死を確かめようとしたのではないかと思ったのっです。それ以外に考えようがないのです。・・・この想像に到達するまでには長い時間がかかりました。しかしですね、われわれはまだ門田書記生が、井筒屋の主人だという推定までには到達していなかったのです」
遠い所で電車の音がした。静かな夜だし、人家が少ないので、その響きがここまで伝わって来るのだが、電車通りまでには一キロ近くの距離があった。
「われわれは、野上顕一郎氏が生きているという想定を立てました。これ以外に伊東さんを東京に飛ばせ二軒を走り廻らせる理由がなかったからです。ところで、野上顕一郎氏の死は日本の新聞にも出ているように、立派に公電になっています。われわれは念のために野上家の様子も探りましたが、未亡人は本当に夫の死を疑っていないようです。だから、野上氏が生きて日本に帰ったとしても、未亡人や家族の者には連絡を取っていないことがわかりました。何故だろう。われわれは不思議に思うと同時に、いろいろ調査を始めました。その一つが、滝良精氏のところに事情を訊きに行ったことです。ところが滝氏は第一回にわれわれが訪れたあと、すぐに東京から離れて信州浅間温泉に逃げるように行ってしまいました。われわれは二度目にそこに押しかけました。滝氏は大へん動揺しました。あの人はまた急に浅間温泉を引払って、蓼科高原に移ったのです。
同じころ¥、滝氏は新聞社を辞めたのち就任していた世界文化交流連盟理事をも辞職したのです・・・・滝氏のこの挙動はわれわれをかえって不思議がらせました。殊に、蓼科高原の宿で会ったとき、こちらがわざとハッタリをかけて、野上さんはどこに居ますか、といきなり訊くと、滝氏は、初めはあの人は死亡したのだと言いましたが、その言葉よりも、滝氏の恐怖に満ちた表情が雄弁に真実の答えをしていました」
2022/12/17
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