~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『 球形の荒野 (下) 』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 文 芸 春 秋
 
 
 
 
 
球形の荒野 (23-09)
この時、急に明るい光が満ちてきた。
車が後ろに停まると、すぐライトを消した。
ドアの開く音がして人が歩いて来る靴音が聞こえた。不思議なことに、門田源一郎を挟んでいる人たちがこれに無警戒だったことだ。
「ご苦労」
とこの男が外から声をかけた。懐中電灯の光が門田の顔を外からまぶしく照らした。
「話は済んだのか?」
新しい男が訊いた。
「大体すみました」
門田の横に居て、しゃべり続けた男が答えた。と同時に、門田に手をっていた別な男が、自分の席を新しい男に与えるために車を下りた。
車が揺れて、外からの男が乗り込んで来た。暗いのでその顔は分からない。彼の太い腕が門田源一郎の手を掴んだ。
「旦那、ご苦労でしたね」
その男が言った。
「やはり、お前だったのか?」
門田は暗い中で対手の顔をのぞいた。
「旦那もこのごろになって気づいていたようだったな。いつまでも宿の下男の栄吉でもあるまいから、本名を名乗らせてもらおう。国威復権会の総務武井たけい承久じょうきゅうという者だ。ついでなから幹部の名前を言うと、会長が岡野おかの晋一しんいち、副会長が杉島すぎしま豊造とよぞう。憶えておいてもらおう。尤も、あんたの頭脳が、あとどのぐらい活動できるかわからないがね」
「覚悟はしている。いつかはこうなると思っていた」
「いい度胸だ。・・・おい、野上居所はわかったかい?」
これは仲間に訊ねた言葉だ。
「まだ、ドロを吐きません」
「そうか。ところで門田君、君は人殺しの犯人だ。われわれの同志、伊東忠介さんをこの現場で殺した男だ。われわれとしては、君を警察に出すわけにはいかぬ・・・」
「殺すのだな?」
「人殺しは法律でも死刑ということになっている。どうせ死ぬのだ。われわれの手でそれをやりたい・・・こう話が決まってからは、君も今さら野上の行方を割らないだろう?」
「言えないな}
「ここで、君を助けてやるからというような甘い誘い方はしない。また拷問もかけない。われわれとしては、紳士的に君の最後の自発的な答えを待つだけだ」
門田源一郎は黙っていた。言葉が出ない代わりに、彼の荒い呼吸いきがパイプを洩れるガスのように、すうすうと聞こえはじめた。
「答えは何もない」
門田源一郎の声がはじめてあえいでいた。
「本当に白状できないのだな?」
武井承久は確かめた。
「言えない」
この返辞も長い沈黙のあとだった。いや、長く感じられたのは、門田も、拉致者らちしゃの側も同じだった。実際は、七、八秒くらいの時間だった。
「もう一度、念を押す。野上顕一郎はどこにいる? あの男は日本に必ず変名で来ているのだ。日本国籍のない男だから、もしかすると、外国人として入っているかも知れない。そのp可能性が強いのだ。門田君、彼は何という名前の外国人になって日本に来ているのだ。そして、どこに滞在しているのだ?」
門田源一郎が最後の返答を口から吐いた。
「知らない!」
「立派だ」
首領はほめた。
「立派な覚悟だと言っておこう。しかし、われわれは君を許せない。君は伊東さんを殺した男だ」
「止むを得なかったのだ」
門田は苦痛そうにいた。
「そうか・・・君も、いま、この現場に来てすでにわれわれの決意がわかっているだろう?・・・君をここで殺す。伊東さんの霊の永眠ねむっている此処で、君の生命を絶つ」
門田源一郎の息が、暗い車の中で、人間の呼吸とは思えない異様な音をたてた。
すると、それは次の激しい音に変わった。子供がふざけて三、四人で暴れているような物音だった。── 声はなかった。
2022/12/19
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