~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅹ』 ~ ~

 
== 『 動 乱 』 ==
著 者:辻 尾  耕 平
発 行 所:新 風 舎
 
 
 
 
 
野望の芽生え Prt-01
足利尊氏が京の都に起こした室町幕府は、鎌倉幕府とそれ以後の武家政権下のなかでは、直轄料所の所有は最下位と言ってよい。江戸幕府などは、大藩が一つや二つ連合しても撃破出来得る兵力と富を将軍自らが握っていた。
直轄領の少ない室町幕府は不足の分を税に頼った。
が、幕府も代を重ねると、税の種類も多岐にわたり、民の不満が巷に充満した。また、細川・山名やまなに代表されるような有力御家人が将軍をもはるかに凌ぐ勢力を持つようになっている。将軍継嗣けいし問題を火種にして、各地で乱が続発した。十二代足利義晴などは、京の御所に住んだのはほんの僅かの期間であり、ほとんどが近江でも比良山麓のあたりを叛乱を逃れて流浪した。幕府崩壊ととみに世は戦国大名たちが並び立つ乱世となっていた。
その多くの戦国大名たちの中にあって、越後の上杉輝虎てるとらほど将軍家をうやまう気持の厚い武将もまれであった。武田とのいつ果てるかもわからない戦闘状態の中でさえ、二度までもわざわざ上洛し、義輝から一字をもらい輝虎とさえ名乗っている。当然、覚慶も輝虎のことはよく耳にし、まだ会ったことはないながらもすでに人物像は胸の内で好ましく形づくられた。
和田館での心もとない日々を紛らわすためにも覚慶は、輝虎に一乗院脱出を知らせる筆を取った。己のこの不安の胸の内をわかってくれる力のある大名は、輝虎をおいてはまず考えられなかったためである。なろうことなら今すぐにでも輝虎に迎えに来て貰いたいところだったが、当然のことでもあり、あまりなことも書けなかった。ただ、この書状の中で、はじめて覚慶は幕府再興の意志のある事をしたためた。頭髪の伸びるに従い、将軍としての血を意識し出して来ても居た。それとは逆にもはや一乗院には戻れぬ身であることを痛感しつつ、寂しさと眠っていた本来の好色がいつとはなしにとよを閨に呼び寄せていた。
景虎が後ろ盾となってくれるのであれば、将軍職を継ぐのもやぶさかではないという気に、近ごろの覚慶は気持を切り替え出している。
このことは藤長。藤孝にとっては初めのもくろみ通りとはいえ、未来の将軍を擁したという気を新たにするものであった。
「それはまず、なによりのことでございまする。幕府を敬う気持の厚い大名は、当今ではまず上杉輝虎の右に出る者は居りませぬ」
書状の内容を聞かされら藤長。義孝は行動恩に同意を示し、すぐにでも越後に使者を発たせますると、やや気負い気味に答えていた。この八月五日の輝虎へ向けての書状が、覚慶のこの後ちの筆の策謀の始まりとなっていた。
二十八のこの歳まで女体の味を覚慶は知らなかった。とくに幼くして母のもとを離れていた覚慶は、女の乳房のいとおしさを強く感じ、とよの豊満な胸乳に刻を忘れ戯れた。香しく蒸せるような若いとよのやわ肌に、覚慶は溺れ込み、終日手放さないという日もあった。
前途の不安に塞ぎ込んでばかりいた覚慶が、すっかり明るくなっている。その覚慶の近ごろの様子に、細川藤孝はこの男にはめずらしくなごんだ苦笑の色を浮かべていた。
とよが覚慶の気持に何らかの影響を与えたということは確実であり、
「粗略には出来ぬものじゃ」
と、思っても居なかった女の肌の力に感嘆し、はじめの頃の冷ややかさとはうって変わって、とよには丁重に接するようにもなっていた。
「やっと門跡殿も、僧の身に踏ん切りをつけられたご様子で心強いことじゃ」
細川藤孝のとよへの態度の変化には内心苦笑しつつも、一色藤長は覚慶の武将への目覚めには素直に喜びの言葉を藤孝に向けた。
その言葉に濃い眉をつりあげ、力みかえった声で細川細川藤孝は、
「さよう、我らはいよいよ気を引き締めて幕府再興のために力を尽くさねばならぬ。それが幕府の要職である一色家・細川家の務めでもござろうゆえ」
三管さんかん四職ししきは、室町幕府を支えて来た要職であり、斯波・畠山・細川が菅僚職を、山名・一色・赤松・京極がそれに次ぐ権力職を代々世襲してきていた。が、その地位も幕府弱体化とともに、名前ばかりのものとなっている。室町幕府再興は藤長。藤孝にとっても昔日のかがやかしい夢をもう一度花咲かせることにも通じた。
2023/03/25
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